赤外スペクトル解析のポイント -脂肪族飽和炭化水素(パラフィン)編-
今回は、最も基本的な有機物であり、汎用プラスチックとして知られているポリエチレン(PE)、ポリプロピレン(PP)を含んだ脂肪族飽和炭化水素(パラフィン)について、赤外スペクトル解析のポイントをご紹介します。今回ご紹介する解析ポイントは、PEおよびPPの判別だけでなく、PEにおける結晶性(密度)の違いを判別する場合にも応用可能なテクニックです。また、今回はPPにおける分子配向に影響する分子振動モードについても一部ご紹介します。
1. 赤外スペクトルによるパラフィンの分類
まず、図1には炭素と水素のみで構成された炭化水素の主なピークの位置と分類方法の例を示しました。高波数側から低波数側に、順にピークの有無を確認することで、3種類の炭化水素(パラフィン、オレフィン、芳香族)を簡単に分類することができます。

図 1 パラフィンの赤外スペクトルピーク位置と分類フローチャート
ここからは、各波数域に出現するピークに着目し、解析のポイントをご紹介します。まずは、3,000 cm-1付近に出現するC-H伸縮振動由来のピークについてです。図2には、代 表的なパラフィン、オレフィン、芳香族の3,000 cm-1付近のピークを示しました。

図 2 3,000 cm-1付近のピークの帰属*1)
3,000~2,800 cm-1付近のピークはC-H伸縮振動に由来するため、パラフィン、オレフィン、芳香族すべてにおいて見られます。
一方で、-C=C-Hや-C≡C-Hのように、C-Hの炭素と隣接した炭素間に二重結合や三重結合が存在する場合、C-H伸縮振動は3,000 cm-1を超える高波数域に現れます。
パラフィンには単結合の炭素しか存在していないため、C-H伸縮振動由来のピーク位置が3,000 cm-1を超えることはありませんが、オレフィンや芳香族の場合、構造中に-C=C-Hや-C≡C-Hが存在しているため、C-H伸縮振動は3,000 cm-1前後の波数域に複数ピークを持ちます。
このように、C-H伸縮振動由来のピーク位置が3,000 cm-1を超えた波数域に存在しているかどうかを確認することで、パラフィンとオレフィンおよび芳香族を区別することが可能となります。
次に、パラフィンのみに着目し、1,460 cm-1および1,360 cm-1付近に出現する、CH2はさみ振動およびCH3変角振動に由来したピークについてご紹介します。
図3には1,500~1,300 cm-1付近のPEおよびPPのスペクトルを示しました。

図 3 1,460 cm-1付近、1,360 cm-1付近のピークの帰属*1)
1,460 cm-1、1,360 cm-1付近のピークはCH2はさみ振動とCH3変角振動に由来したピークです。パラフィンは主にメチレン(CH2)基とメチル(CH3)基で構成されますが、化合物によってメチレン基とメチル基の比率に違いがあります。PEの構造はメチレン基の直鎖構造を持つのに対して、PPの構造はPEの水素が1つメチル基に置換された構造となっています(図3中に示した構造式を参照)。赤外スペクトルを確認すると、PPはPEと比較して、より多くのメチル基由来のピークが出現していることがわかります。
次に、750 cm-1付近に出現する、CH2横ゆれ振動に由来したピークについてご紹介します。図4には、PE、1-プロパノール、エタノールの800~500 cm-1付近の赤外スペクトルを示しました。

図 4 750 cm-1付近のピークの帰属*1)
ここで示したCH2横ゆれ振動由来のピーク位置は、炭素鎖の長さを見積もるのに有効です。メチレン基の長さを(CH2)nと表したとき、メチレン基の数によってピークの現れる波数が異なります。PEのように、メチレン基による炭素鎖数がn≧4の場合、720~725 cm-1にピークが現れます。n=2の1-プロパノールでは、C-O-H変角振動によるブロードなピークの上にCH2横ゆれ振動が確認されますが、750 cm-1よりも高波数に見られていることがわかります。n=1のエタノールやPPでは、CH2横ゆれ振動は見られません。ただし、PPとPEが共重合したような樹脂の場合、CH2横ゆれ振動が微弱に検出されることがあります。
最後に、図5にPEとPPの4,000~400 cm-1の赤外スペクトルを示し、PEとPPを区別するための基準をまとめました。

図 5 PEとPPの赤外スペクトル(全体)*1)
PEとPPの主な違い
メチル基由来のピーク
PEの場合にはメチル基は末端に2個しか存在していないため、PEの赤外スペクトル上にはメチル基由来のピークはほとんど見られない、もしくは非常に微弱である。
CH2横ゆれ振動由来のピーク
PPの場合にはメチレン基連鎖がほとんど構造中に存在していないため、赤外スペクトル上には上記のピークは見られない。
2. PEにおける結晶性(密度)の違いとPPにおける分子配向に影響する分子振動モード
構造式で表現すると同じ化合物でも、結晶性(密度)や配向性の違いにより硬さや粘性が異なることがあります。ここでは、結晶性(密度)の異なるPEの判別方法とPPの配向と分子振動の方向の関係について紹介します。
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PEにおける結晶性(密度)の違いー高密度PEと低密度PEー
高密度PE(High-Density PE:HDPE)と低密度PE(LowDensity PE:LDPE)は、伸縮性やガス透過性、透明性などに違いがあるため、目的に応じて使い分けられています。
分子構造の観点では、HDPEは側鎖の少ない構造を取っていますが、LDPEは長い側鎖を多く持つため分子が詰まりにくい構造をしています(図6参照)。 -
図 6 HDPEとLDPEの構造(イメージ図)
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また、図7には1,600~1,200 cm-1におけるHDPEとLDPEの透過法における赤外スペクトル重ね描きを示しました。
LDPEにおけるメチレン基の炭素鎖末端にはメチル基があるため(図6におけるLDPE構造イメージ図の赤点位置)、図7に示したように、HDPEと比較すると微弱ながらメチル基の吸収(図7におけるδ(CH3))が確認されます。
一方、密度の高いHDPEでは、LDPEと比較するとメチレン基が多く存在しており、CH2はさみ振動(図7におけるδ(CH2))が相対的に強く現れます。
詳細は下記アプリケーションニュースをご覧ください。
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図 7 HDPEとLDPEの赤外スペクトル重ね描き(透過法)
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PPにおける分子配向に影響する分子振動モード
化合物の分子配向によって、特定の方向への寸法安定性や強度を持たせることが可能となります。ここで、改めて図5に示したPPの赤外スペクトルを確認すると、1,300~800 cm-1付近に帰属していないピークが複数あります。これらのピークは、主に複数の分子振動が混成した振動によるものです。これらのピークを化合物の定性に活用するのは難しいですが、振動に方向性を持っているために分子配向を調べることができます。図8にPP製の紐を長軸に垂直な偏光と長軸に平行な偏光で測定した例を示します。
荷造りに使われるPP製の紐は長軸方向の引張りに強いですが、短軸方向には簡単に手で裂くことができるため、長軸方向に分子配向していると予想されます。長軸に平行な偏光で測定した赤外スペクトル(緑線)は、1,304 cm-1のCH2縦ゆれ振動とCH2ひねり振動、1,256 cm-1の CH2ひねり振動とC-H変角振動、1,168 cm-1と841 cm-1の2箇所に出現するC-C伸縮振動とCH3横ゆれ振動などが強く検出されます。一方で、長軸に垂直な偏光で測定した赤外スペクトル(オレンジ線)は、899 cm-1のCH3横ゆれ振動とCH2横ゆれ振動、809 cm-1のC-C伸縮振動とCH2横ゆれ振動などが強く検出されることがわかります。分子配向に平行な分子振動と垂直な分子振動を知っていると、偏光測定によって分子配向を調べることができます。マクロなスケールの評価だけでなく、赤外顕微測定を組み合わせると面内のミクロなスケールの分子配向を調べることも可能です。 -
図 8 PP製の紐における偏光測定(透過法)*2)
3. まとめ
今回は、赤外スペクトルの解析における基礎的な内容について解説しました。今回ご紹介した赤外スペクトル解析のポイントを以下にまとめて記載します。
●C-H伸縮振動由来のピーク位置が3,000 cm-1を超えた波数域に存在しているかどうかを確認することで、パラフィンとオレフィンおよび芳香族を区別することが可能となる。 |
次回は、オレフィン、芳香族などの不飽和炭化水素に関する解析ポイントをご紹介します。
参考文献
- 田中誠之、寺前紀夫、「赤外分光法」、共立出版(1993)
- 錦田晃一、西尾悦雄、「チャートで見るFT-IR」、講談社サイエンティフィク(1990)