LC分析の留意点
中村 洋 先生
公益社団法人 日本分析化学会 会長
(液体クロマトグラフィー研究懇談会 委員長
東京理科大学薬学部 嘱託教授) (ご所属・役職は2013年1月発行時)
■はじめに
昨年は12月に山中伸弥教授がiPS細胞の開発でノーベル医学生理学賞を受賞され,喜びで日本中が大いに沸いた。これで日本人のノーベル賞受賞者は18名となり,アジアではインド(4名),中華民国(4名),中華人民共和国(2名),大韓民国(1名)などを大きく引き離し断トツの第1位である。しかし,2010年にGDP世界第2位の座を中国に奪われた事実に象徴されるように,中国,韓国をはじめとするアジア諸国の経済的発展により,アジアの盟主としての日本の地位は崩れ始めている。明治維新以来培ってきた研究教育重視の伝統とその実績により,現状の日本は科学技術面では辛うじてアジアでは最も評価が高い。しかし,将来的には人口の大幅減少が見込まれることから,従来にも増して科学技術重視の施策と有効な具体策が望まれる。一国の将来あるいは国力はその国の科学技術力,産業力等を総合したものであるが,ここでは,分析科学の立場から将来の日本の発展にどのような貢献ができるか,持論を述べさせて戴く。
■日本近代化の道筋
16世紀の大航海時代に始まったヨーロッパ諸国の植民地支配の波は,アジアにも押し寄せ,19世紀までには欧米列強により次々と植民地化されて行った中で,日本は幸いにも植民地化を免れた数少ない国である。明治政府は富国強兵と殖産興業に努め,欧米に追い付き追い越せを掛け声として近代化を図ってきた。日本は第二次世界大戦による焼土の中から朝鮮戦争(1950~1953年)特需で復興の兆しを掴み,国土に化石燃料や鉱物資源が殆どない状況ながら,貿易立国を旗印にして繊維産業,造船産業,電子産業,自動車産業と次々に世界をリードする近代国家として蘇った。1975年には主要6カ国首脳会議(G6)のアジアで唯一のメンバーとなり,先進国入りを果たした。G6は1976年にはカナダを加えてG7,1998年にはロシアを加えて現在のG8となるが,アジアからの参加国は未だに日本のみである。1950年代~1970年代の日本の急速な経済復興は,『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One)』(1979年,エズラ・ヴォーゲル)の出版に象徴されるように,世界の奇跡と称され,1987年にはGDPも旧ソ連を抜いてアメリカについで世界第2位となった。このように,日本はアジア諸国の中でも特異な発展を遂げたが,その基盤が国民の高い教育水準と勤勉な国民性にあることは論を俟たない。
しかしながら,総務省統計局の資料によれば,日本の総人口は2010年の1億2800万人をピークに年々減少し,出生率を1.35と仮定した場合,2065年には8000万人を割り込み,2095年には5100万人に落ち込むという。今更言うまでもないが,国力の維持にとって人的資源が物質的資源にも増して重要である。総人口がV字回復兆候を見せるまでは,何としても日本の国力と競争力を維持しておく必要がある。
■分析科学の位置付け
日本は戦後68年間,平和な時代を享受し,科学技術立国を体現する成熟した先進国家に発展した。しかし,日本の人口は緩やかな減少期に入っており,国力の漸次低下も否めない。手を拱いていては,日本の衰退を座視するだけであり,何らかのカンフル剤が必要なことは自明である。ここで想い出して欲しいのは,何故日本だけがアジアで唯一,先進諸国の仲間に入っているかである。前述した教育水準の高さや勤勉性に加えて,一言で言えば日本国民特有の「モノづくりの巧さ」に日本の発展を支えた大きな要因があろう。換言すれば,「手先の器用さ」や「模倣の巧さ」のような要素技術に加え,「創造的改良能力」,「几帳面さ」など日本人特有の長所が高品質なモノづくりに繋がっているのである。
さて,少子高齢化に伴う国力の低下を補うには,量ではなく質を重視した科学技術施策が不可欠である。即ち,工業製品にせよ研究にせよクオリティーの高さが付加価値を高めるのであるが,その肝心な部分を担っている学問分野が分析科学である。分析科学の神髄は方法論の創出にあり,その成果は他の諸分野のブレイクスルーに強力な武器を与えることになる。産業界においては,新規材料の開発過程で必要とされる評価解析技術,高品質の製品供給に求められる標準化などにおいて分析科学は大きく貢献している。この意味で,分析科学は研究面でのフロンティアツールであると同時に,産業界のコアサイエンス(コアテクノロジー)でもある。最近は,「分析機器や試薬は科学と産業の血液」のような趣旨の発言が,行政当局から多く聞かれるのは喜ばしい限りである。まさに,「分析科学は科学と産業の血液」であり,日本の将来はこれからの分析科学に掛かっていると言っても過言ではない。
■分析科学の発展
上記の視点に立ち,(公社)日本分析化学会(JSAC)は国内の「分析力」の底上げを志向した幾つかの事業を推進しているので,その主なものを以下に紹介させて戴く。
JSACは1999年以来,分析試験所認定に伴う技能試験を実施しているが,2010年度からは一般技術者を対象に分析士認証制度の運用を開始した。本制度は,個人の技量に応じて初段から五段の段位により専門能力を認定するものである。現在までに液体クロマトグラフィー分析士,LC/MS分析士,イオンクロマトグラフィー分析士の3種類が設定されており,各種分析士の数は近々1,000名に迫る勢いである。昨年11月には分析士会が創設され,ロゴマークも設定されているので,詳細はホームページ(http://www.lckon.org/bunsekishi/index.html)を参照願いたい。分析士資格は個人評価の指標となり得ることから,分析機器メーカー,受託分析企業,人材派遣企業など幅広く活用戴いている。さらに,受託分析企業については産業界に正確な分析値を提供する社会的責任があることから,昨年JSACの傘下に受託分析研究懇談会を設立し,関連分析技術の向上と分析担当者の相互交流を手助けする仕組みを構築した。残念ながら,「分析」に対する世間の認知度と理解は必ずしも十分ではない。そこで,日本の分析界を代表する4団体,即ちJSAC,(一社)日本分析機器工業会(JAIMA),(一社)日本試薬協会(JRA),(一社)日本科学機器協会(JSIA)の協力のもと,国民に分析界の重要性をアピールする場の創設を提唱し,「日本分析フォーラム2012」を昨年創設した。学会と分析産業が一体となって日本分析界の発展を図る場として,日本分析フォーラムが発展することを願っている。
一方,学問としての分析科学をグローバルな視点で眺めると,アメリカ化学会(Americal Chemical Society; ACS)と英国王立化学会(Royal Society of Chemistry; RSC)の2極が世界を牛耳っているのが現状である。そこで,JSACは主に東アジア諸国の分析科学者に呼びかけてアジア分析化学ネットワーク(Asian Analytical Chemistry Network; AACN)を2010年に構築し,アジアに日本を中心とする第3極を形成する試みを展開中である。
■おわりに
分析科学は,科学のフロンティアとコアの両面を持つ独特な学問体系であるが故に,科学技術立国,知財立国を目指さざるを得ない日本にとっては生命線とも言うべき存在である。従って,分析科学の成果(シーズ)を社会に還元し,逆に社会の要請(ニーズ)に応えるためのインターフェイスとして,分析産業界の位置付けは極めて重い。極論するならば,日本の未来の明暗を決定するのは国内の分析科学と分析産業界であり,双方が協調し「分析力」を高めながら発展して行くことが肝要である。この意味において,日本における斯界のトップ企業である島津製作所に期待するところ,誠に大である。