vol.72 クロマトグラフィー技術開発の二面性

talkのご執筆
宮部寛志

2009年4月発行
宮部寛志先生

富山大学大学院 理工学研究部 教授

(ご所属・役職は2009年4月発行時)

大学院修士課程修了後社会人になってから,今年の4 月で満27 年になる。 民間企業と大学での勤続年数が丁度半分ずつになったが,この間多くの時間をHPLC 周辺の仕事に費やしてきた。 その技術開発動向について最近考えるところを記述したい。

HPLC は実験研究に必要不可欠な精密分離分析法の一つとして既にその地位を確立しているが,現在でも更なる高速化や高分解能化が求められている。 これに対して,各種モノリスやシェル型粒子等の新規分離材が開発されている。 一方,分離システム高度化の観点から多次元HPLC やチップ型分離系等が開発されている。 また,分離材とシステム開発の双方向からのアプローチにより,全多孔性球状微粒子充填カラムを用いる超高圧クロマト装置も開発され,HPLC は新たな高性能高速分離の時代に移行しつつある。 HPLC 技術のハード面は近年急速に進展している。

これに対して,HPLC 分離の本質に迫る基礎研究もまた新たな段階へと展開しているのであろうか。 その基盤となる解析理論やモデルのうち,『段理論』と『速度論』は周知の如くクロマトグラフィーの初学者にとっては非常に有用である。 しかし『段理論』では,分離系内における試料分子の実際の「動き」を全く考慮しない。 また『速度論』では,速度式中のいくつかのパラメータの物理的定義や意味が不明確であるため,実験データをいかに正確に測定してもクロマト挙動の動特性を定量的に議論できない。 さらに寡聞にして,固定相内物質移動に対して極めて重要な役割を果たす「表面拡散」を考慮した速度式を知らない。 上記のような問題点があるにも拘らず現在でも『段理論』と『速度論』だけが一般的に利用され,それ以外の『モーメント理論』や『ストカスティック理論』等はその存在すらほとんど知られていない。 この点から見れば,クロマト分離挙動の基本原理とその本質に関する現場の理解レベルは,上記ハード面の進展に匹敵する程十分に発展しているとは言えない。

HPLC 技術は現在,基盤研究を置去りにしたまま応用開発だけが急速に進展する二面性を呈している。 その技術開発に基礎研究は不要なのであろうか。 確かに従来のHPLC は主に,膨大な数量の実験データに裏付けられた技術者の勘やイメージに基づいて開発されてきたのかも知れない。 しかし,上記のようにHPLC は新たな時代に突入している。 例えば,超高圧HPLC では高圧・高速で送液される移動相と充填剤との摩擦で熱が発生し,カラム軸方向および放射方向に温度分布が生じる。 従来とは異なりカラム内における摩擦熱の発生を無視できないが,クロマト分離に対するカラム内温度分布不均一性の影響はイメージだけでは定量的に取扱えない。 また,モノリスやシェル型粒子等の新規分離材は,従来の全多孔性球状粒子とはその形状や構造的特徴が全く異なるため,その分離挙動を適正に解析できる速度式は存在しない。 今後HPLC は技術者のイメージだけで処理できる領域を超え,その開発には適切な解析理論の構築とクロマト挙動の本質に関する基礎的研究成果の集積がより一層求められるであろう。

一般ユーザー,学術研究者と分析機器・カラムメーカーは各々の目的と立場に応じてHPLC 技術に携わるが,クロマト分離の本質に関する現場の理解レベルを全体的に引き上げるという点では,分析機器・カラムメーカーの役割は重要である。 その成果や意義を具体的な姿や形で直接的には見ることができない基盤技術の重要性を十分認識し,一般ユーザーよりも高い視点からクロマトグラフィーの本質をより深く捉えると共に,基礎的研究の成果に立脚した技術開発と情報提供を通して現場のHPLC 技術を実質的に牽引する役割をメーカーは担っている。 HPLC 新時代に向けて,その先進的技術開発およびHPLC 技術の裾野を含めた全体的なレベル向上の双方に資する枠組みについて考える必要があるように思われる。

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