vol.117 私が学生の頃・・・

味の素株式会社 宮野 博 先生

2021年10月 発行
中込 和哉 先生

一般社団法人日本薬業研修センター
(ご所属・役職は2021年10月発行時)

ある日の会話。
「LCtalkの原稿を頼まれてしまったよ・・・」
「LCtalkといったら、錚々たる有名処の先生が最先端の研究の話を紹介するコラムでしょう。先生は3年も前に大学を定年退職されて、それ以降は研究ともHPLCとも関係ない立場にいらっしゃいますよね。」
「そうなんだけど、帝京大学の研究室では歴代の島津HPLC装置に随分お世話になって来たし、それに学生の頃の昔話をぜひ聞かせてほしいと言われて・・・。」
「学生の頃と言うと50年近く昔でしょう?半世紀も前の話なんて・・・。そもそも、先生は何で分析の分野を選んだんですか?」
「薬学部3年生の学生実習で、オウバクからベルベリンをメタノール抽出する実験があったんだ。今でも学生実習でやっているんじゃないかな。その実習中に、抽出液を減圧濃縮する過程でトラップしたメタノールを、研究室の大学院生が回収していたので聞いたら、精製して実験に使うと教えてくれた。ちょうど昭和48年の第1次オイルショックのときだったので、有機溶媒も手に入りにくい状況だった。学生実習で使った溶媒まで再利用しなければならない逼迫した状況を知って、『これから化学研究はどうなっていくんだろう』と疑問に思い、使う試薬の量が少なくて済みそうな分析分野を選んだ、と言う訳さ。」
「でも、研究のテーマは微量分析ではなかったと聞きましたが?」
「4年生で配属されたのが、田村善藏教授の薬品分析化学教室。助教授の谷村 徳先生から与えられた研究テーマは『生物活性ペプチドの構造活性相関』だったよ。」
「研究室にはどんな分析機器がありましたか。」
「当時、HPLCが使われ始めていた時期で、簡易型の装置から大型のものまで、いろいろあったよ。今でも覚えているのは、島津-デュポン高速液体クロマトグラフ830型。横幅1.5 mほどの大きさで、大事な装置だから、と4年生は触らせてもらえなかった。他には、GCや分光光度計もあったね。」
「アミノ酸分析計をお使いだったとか。」
「研究室に入って担当したのが、アミノ酸分析計。今の飲料の大型自動販売機ぐらいの大きさだった。当時でもかなりなレアものだという話だが、そんな貴重なもののメンテナンスを入ったばかりの4年生に任せるなんて、今思えば結構風通しの良い研究室だったね。」
「どんな装置だったのですか?」
「ここから先の話は、半世紀も前のあいまいな記憶と、奇跡的に残っていたメモ帳からの断片的な内容だということをお断りしておくよ。カラム充塡剤は国産品と輸入品を使っていたようだね。どちらもポリスチレン樹脂製強酸性陽イオン交換樹脂だね。カラムは外筒管付きのガラスカラムで、内径1 cm程度、長さは中酸性アミノ酸測定用が1 m弱、塩基性アミノ酸測定用が30 cmくらいか。外筒管部分に恒温水を通してカラム温度を一定にすることが出来るカラムだね。今ではカラムオーブンでカラム全体を恒温にする方法を採用しているが、昔のカラムは大きすぎてその方法は使えなかった。外筒管付きのガラスカラムは、今でも製品として販売されているので、需要はあるのかな。こっちの方が、カラムオーブンより温度制御はきちんと出来ていたと思うよ。
充塡剤の上にカラムフィルターがあり、そこからカラム上端のキャップまで10 cmほど空間があった。試料溶液は上端キャップを外してフィルターまでの溶離液を抜きとり、カラムフィルターにメスピペットで直接乗せた。1 mL以上はあったと覚えているよ。その後、窒素ガスでカラムフィルター内に押し込み、カラム上部に溶離液を加えて、分析が開始となる。ひと昔前のオープンカラムと同じ試料導入法だね。」
「分析時間はどのくらいでしたか?」
「標準の18種のアミノ酸の分析に、中酸性アミノ酸用のカラムだと溶離液を途中でpH 3.25からpH 4.25に切り替えて、トータルで3時間ほど。塩基性アミノ酸用の短いカラムでもpH 5.28の溶離液で90分ほどはかかっていたね。さすがに、溶離液の切り替えにはタイマーが使われていたので、始めてしまえば付きっ切りということはなかったよ。『一昔前の、分析に1晩かかった頃と比べると随分と早くなった』と当時は先輩に言われたが、今と比べると雲泥の差だね。ただ、ポストカラムでニンヒドリンを加えて反応させる反応槽に沸騰水浴を使っていたので、始終見ていないとすぐに水が蒸発してしまうのには閉口した。後日、水をグリセリンに替えてもらったときは嬉しかったね、これで随分と楽になったと。」
「そうなんですか。今ならアミノ酸は、島津HPLCシステムを使えば、短時間で精度良く自動分析出来ますよね。」
「他に御苦労されたところは?」
「pH 3.25の溶離液調製かな。他のpH 4.25、pH 5.28の各溶離液、洗浄用NaOH溶液は18 Lのポリタンクで調製していたが、pH 3.25の溶離液のみ50 Lのポリタンクで作っていた。pHが0.01違うとアミノ酸の分離に影響すると言われて、一回に大量に調製することにしていたんだ。試薬のクエン酸などを溶かすのに、抱えて振るわけにもいかず、フロアの廊下をごろごろ転がして、皆にからかわれながら溶かしたことを覚えているよ。
それから、打点式の記録計でクロマトグラムが出てきた。ペン型と違って、一定時間ごとに点を打っていく方式だ。今の若い人は見たことがないだろうね。ピークの半値幅を決めるのに、その間の点の数を数えていたんだよ。」
「今では考えられないですよね。」
「HPLCの記録計は、その後ペン型のレコーダーから島津が画期的なクロマトパックを開発して、簡便なデータ処理装置の時代に入ったんだよ。就職した通産省の研究所で、初めて島津のクロマトパックE1Aを使ったときのことは、今でも覚えているよ。E1Aは初期の装置で、クロマトグラムなしで保持時間とピーク幅のみ印字するものだったが、こんな便利なものが出来たのか・・・と感激したね。」
「アミノ酸分析計は活躍したのですか?」
「私はペプチドのアミノ酸組成をチェックするのに使っていたが、時々外部から食品のアミノ酸組成を測定する依頼が来ていたな。結構役に立っていたと思うよ。」
「私はあまり実験技術も運もなかったようで、在学中は大した実験成果はでなかったね。アミノ酸分析計の前に座ってツートン、ツートン、と打点が繰り返されてクロマトグラムが出来上がっていくのを眺めているのがとても幸せな気分だったことは記憶に残っている。それがあってこの道に進んだのかもしれないね。」
「他に研究室のことで覚えていることはありますか?」
「そうだね、TLCのプレートを自分たちで作っていたことかな。シリカゲルを溶液に溶いたスラリーを入れたアプリケーターという塗布装置を、実験台上に並べた30 cm幅のガラス板の上を滑らせてガラス板に薄層を塗布していくんだ。均一なスラリーを均一に塗布しないと、使える薄層プレートは出来ないことは分かるね。大学院の先輩にとても上手な人がいて、その人がほぼ専門に作ってくれていた。私もやらせてもらったが、とても人に使ってもらえるものは出来なかったね。
あとは、主任教授の田村先生がスポーツ好きで、空き時間が出来ると研究室に学生を誘いに来て、先生方と一緒にバレーボールや卓球を始終やっていたな。今から考えると、随分とのんびりとした研究室の生活だった。でもそれぞれのペースで実験を進めていたので、私も時折研究室に泊まり込んだりして一生懸命に実験したことを覚えているよ。」
「随分と楽しい学生生活だったようですね。昔の話をありがとうございます。ところで、この会話、本当にLCtalkに載るんですか?」

執筆者紹介

東京大学大学院薬学系研究科修了。通産省生命工学工業技術研究所(現 産総研)、富山医科薬科大学(現 富山大学)を経て、2002年帝京大学薬学部教授。2018年に退職し、現在、一般社団法人日本薬業研修センター理事長、薬剤師・登録販売者・配置薬販売者の研修等が主な業務。

【専門分野】分析化学(だった)
【将来の夢】余生を穏やかに過ごす
【趣  味】毎日10000歩の散歩

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