執筆者紹介

vol.102 アセトニトリルと残留農薬分析

斎藤 勲 先生

東海コープ事業連合商品検査センター
技術顧問 (ご所属・役職は2018年1月発行時)

薬学部修士課程を修了後,製薬会社化学研究所勤務を経て,愛知県衛生研究所で30年間食品中の残留農薬,重金属,カビ毒,添加物などの微量分析に従事,その後東海コープ事業連合商品検査センターに勤務,現在同技術顧問。2012年から4年間愛知県科学技術交流財団知の拠点重点研究プロジェクトに参加。日本農薬学会評議員,農薬レギュラトリーサイエンス研究会委員長,残留農薬分析国際交流会代表幹事。

【専門分野】食品中残留農薬分析,農薬などの生物学的モニタリング
【将来の夢】できるだけ楽しく思える仕事・活動にかかわった人生が送りたい
【趣  味】海外の学会や研究会でいろいろな人に会い,いろいろな所を見聞すること

アセトニトリル(CH3CN)は,分子量41,沸点82 ℃の有機溶媒で,現在残留分析などの抽出溶媒としてよく使用されている。アセトニトリルは,水と任意に混ざり,HPLCの移動相としてメタノールと共によく使用されている。しかし,アセトニトリルは値段が高く,HPLC用だと値段もメタノールの3, 4倍してしまう。そのため,大学ではなかなか使いづらい溶媒でもあるが,C18カラムからの溶出力はメタノールに比べ少量でも優れており捨てがたい溶媒である。薬品管理としては,劇物で化管法上規制物質(吸入,皮膚より吸収,皮膚又は目の炎症)である。20年位前の話だが,オランダの分析ラボを訪問した際,HPLC移動相のアセトニトリルのガロン瓶が後ろに換気ホースがついた木箱の容器に入れられ,分析者への暴露を防ぐ手立てをしていたが,自分たちのずさんな管理との違いを感じた記憶がある。

残留農薬分析では,脂質成分を除去するため,ヘキサン/アセトニトリル分配による精製溶媒として日常的に使われてきた。しかし,当時はLogP(オクタノール/水分配係数)の大きな非水溶性の農薬類はヘキサン層への分配率が高く,ヘキサン/アセトニトリル分配を2, 3回繰り返す必要があった。

アセトニトリルの特徴として、水で任意に混ざる性質と食塩など塩濃度を高くしていくと、なんと水層と分離してくれる(7 %位は含水状態であるが)という性質を持った溶媒であり、抽出・分離精製するには理想的な溶媒であった。

1990年代から2000年初めの頃は,食品から微量農薬成分をアセトンで抽出し,食塩水とジクロロメタンを加えて振とうしてジクロロメタン層に農薬を転溶する方法が採用されていた。ジクロロメタンは,水との分離もよく,分液ロートで振とうした場合下層に来るので再抽出も容易であり,沸点40 ℃のため濃縮しやすく,抽出効率もよく広く農薬分析に使用されていた。米国FDA(食品医薬品局)で輸入食品検査の現場では,大量のジクロロメタンを抽出,精製溶媒として用いていた。操作性は良いが,ドラフト内でジクロロメタンをK-D濃縮器(通常は減圧しながら冷却器で気化した溶媒を液化して捕集するが,スチーマーで加熱しそのまま揮散)で濃縮していた。気化したジクロロメタンはそのまま大気中に放出されるので,大気汚染の一因でもあった。

カルフォルニア州残留農薬分析機関CAC(Center for Analytical Chemistry)では、食品からアセトニトリルを用いて粉砕抽出、塩化ナトリウム添加で水層分離(塩析)し、アセトニトリル層を濃縮して精製する方法を提案していた。どちらも自らの方法の利点を強調し、論争にもなっていたが、その後の流れとしては濃縮操作が少なくジクロロメタンが環境汚染で問題となる中で、アセトニトリル抽出、塩析する方法が主流となっていった。ただし、アセトニトリルの性質として、脂質成分などLogPの大きな化合物の抽出は悪いので、その点は利点でもあり欠点でもあるので留意する必要がある。

2002年Michelangelo Anastassiades, S. Lehotay(USDA)らが発表(論文は2003年)したQuEChERS (Quick, Easy, Cheap, Effective, Rugged, and Safe、呼び方はキャッチャーズ)法が、残留農薬分析の抽出精製の代表的なものとなってくると、世界的にもアセトニトリル抽出が主流となってきた。Michelangeloさんがポスドクを終えてドイツシュトゥットガルトCVUA、EURM-SRMに戻り、USDA(AOAC法)とは塩類など抽出操作の少し異なるEN法を中心に展開している。欧州は世界各国、発展途上国などとの関連も強く、QuEChERS法というとEN法が主流となっている1)。2006年島津製作所の協力を得てMichelangeloさんを招聘して、大阪と東京でQuEChERS法を紹介するセミナーを開催することができ、感謝している。

残留農薬分析における抽出精製の標準的方法として広く使われるようになったQuEChERS法であるが,手振り1分(Shake by hand 1min.)による簡易な抽出方法という非常に魅力的な方法としてアピールされてきたが,実残留サンプルincurred residuesからの農薬抽出率の問題が浮かび上がってきた(2010年)2)

通常私たちは検査方法の評価は,妥当性評価ガイドラインに従い添加回収試験で評価し,その分析方法を用いている。しかし,均一に粉砕した試料に一定量の標準品溶液を添加して抽出精製する場合(試料に標準品がonした状態),抽出効率は良好な場合が多く,抽出時の実サンプルでの残留状況を反映しているわけではない。以前は,サンプル50 g,100 gと大量に測り取り,溶解力の高い大量のアセトンなどで抽出する分には,多少粉砕が荒くてもその抽出誤差は相殺される状況があった。しかし,QuEChERS法は,脂溶性物質が溶けにくいアセトニトリルを用いて,基本サンプリング量10 gであり,それより少量での試みもある。そのため,できるだけ細切均一化され,農薬が残留している皮などを粉砕するサンプル調製が求められ,高性能の粉砕機やドライアイス添加凍結粉砕などが推奨されてくる。しかし,凍結粉砕サンプルからアセトニトリル抽出をする場合,当初0 ℃度付近からの抽出となり抽出効率が悪い。そのため,機械的な振とう器で20~30分振とうする方法が推奨されている。1分が30分になる!というと,簡易分析法ではないようなイメージを持たれるかもしれないが,日常分析では一回に数件から十何件の試料を一斉に処理することが多く,一度に振とう器にセットするならそれほど問題ではなく,その振とう時間中に容器内の温度は常温付近まで上昇するので,抽出効率も高まる。さらに,硫酸マグネシウムなどの塩類を入れることにより40 ℃位まで上昇し,抽出効率がさらに高まる。このように,簡易迅速で有名になったQuEChERS法であるが,日進月歩の歩みの中変化しているので注意する必要がある。

島津製作所の製品に,ミニカラムのゲル浸透クロマトグラフィー(GPC)とGC/MSを一体化した装置オンラインGPC-GCMSシステムPrep-Qがある3)。1980年代から脂質の多い食品などの残留農薬分析に汎用されてきたGPCは,基本的には分子量の違いにより分離する方法であり,食品中の分析夾雑物となる分子量の大きい脂質,色素などを効率的に分離し,農薬分画を集めて分析に供する方法である。日本では,畜水産物の残留農薬分析の通知法に採用されている。GPCがルーチン分析で用いられるようになると当然自動化の研究は進み,当時大阪府公衆衛生研究所食品化学課(現在大阪健康安全基盤研究所)と島津製作所分析計測事業部が協同でGPCとGC/MSをオンライン化しGPC-GC/MS(商品名Prep-Q)を開発販売した4)。当時ルーチン分析でそれぞれの機器をそれぞれに使って仕事をしていたものにとっては,新しい流れであった。しかし,その装置が爆発的に売れたわけではなく,国内外で導入されたところを見学する機会もあったが,残念ながらその機能を十分使いこなしているところは少なかった。そのような中,近年中国ではGPC-GC/MSに関心を示す研究者なども多く,特に抽出精製操作をQuEChERS法で行い,GPC-GC/MSで分析する報告が,中国から多数報告されている。その影響もあり,中国ではPrep-Qが日本よりはるかに売れているという。QuEChERS法とPrep-Qをうまく組み合わせて,吸着・分配と分子量分離で精製度を上げ迅速分析を行うという今風の考え方が,Prep-Qを支えているのだろう。分析装置は現場では単品で使用するわけではなく,一連の流れの中で使用される。そういった面では,装置メーカーはアプリケーションも含めユーザーが如何に負担なく精度の高い安定した分析を行うことができるかを一連の流れの中でユーザーと共に考え,装置の発展を進めてほしい。そのためには,当然ながら現場の応用発展力は必須である。

GPC-GC/MS(Prep-Q)の仕組み

図1 GPC-GC/MS(Prep-Q)の仕組み

参考文献

 

  • 1) 永井雄太郎 実験技術講座「QuEChERSを見直してみよう」,日本農薬学会誌,37巻(4号),362-371(2012)
  • 2) http://www.crl-pesticides.eu/library/docs/srm/2010_EurlFvSrmWorkshop_Quechers Extractability.pdf
  • 3) 北川幹也,堀伸二郎,宮川治彦,田中幸樹,中川勝彦,島津評論,59巻,15-23(2002)

関連データ

関連情報