vol.5 プローブ型ATR-FTIR分光光度計による結晶多形現象のリアルタイム観察

FTIR TALK LETTER
田村 類 先生

2005年8月発行
田村 類 先生

京都大学 大学院人間・環境学研究科および大学院地球環境学堂


(ご所属・役職は2005年8月発行時)

 核磁気共鳴(NMR)分光法の出現以前の有機化学の分野では、赤外(IR)分光法は元素分析とともに、有機化合物の分子構造の同定手段として不可欠な存在であった。しかし、1960年代以降、NMR分光法がこれにとって代わり、FT-IR 分光法は主に官能基の存在の確認や、官能基の吸収強度の増減に着目した反応速度の測定手段として利用されてきた。しかし、最近の有機固体化学の著しい進歩に伴って、全反射赤外(ATR-FTIR)分光法がX線回折法や熱分析法と共に、有機固体中における超分子構造やその動的挙動の追跡手段として、確固たる地位を築きつつある。本稿では、有機結晶化学におけるATR-FTIR分光法の利用の一例として、リアルタイムin situ測定が可能なプローブ型ATR-FTIR分光光度計を用いて行った、筆者らの「優先富化現象のメカニズムの解明に関する研究」の一端について述べる。

図1 ATR-FTIR分光法
図1 ATR-FTIR分光法

ATR-FTIR分光法の原理と特徴
 屈折率の大きなダイヤモンドや硫化亜鉛などの結晶プリズムに測定試料を接触させて、プリズムに対してある角度で赤外光を入射させると、プリズム内で赤外光がプリズム長と厚みに応じて複数回全反射する(図1a)。この時、プリズム内の反射光は数 μmほど試料内に潜り込んで(染み出して)から全反射するため、入射光の一部が試料に吸収されることになる。この吸収されたエネルギーを測定し、IR吸収スペクトルが得られる。したがって、通常の希釈試料を用いる透過測定や拡散反射測定と比較して感度は低くなるが、この点はスペクトルの積算により改善されている。逆に、この感度の低さが非希釈試料の測定に適している所以でもある。
 プリズムを棒の先端に固定したプローブセンサー部分を、転送光学アーム(反射鏡を使用)や光ファイバーを経由して分光計と接続させるプローブ型全反射測定装置が、付属品として、または分光光度計との一体型として、各メーカーから販売されている(図1b)。プローブ型ATR-FTIR分光光度計の特徴として、(1)固体試料をそのまま直接プローブセンサー先端に密着させて測定することが可能、(2)溶液中のみならず、懸濁液中の溶質分子と粒子径が1μm以下のクラスターや結晶のin situ同時測定が可能、の2点が挙げられる。(1)により、試料調製が引き金となって起こる多形転移の発生を防ぐことができ、結晶多形間の微小な結晶構造(特に水素結合様式)の相違を識別できる。(2)により、結晶核表面や結晶核中で起こる比較的速い(分のオーダー)多形転移のリアルタイム観察が可能となる。これに対して、同じプローブ型のRaman分光光度計を用いると、レーザー光が粒子により乱反射されるため、固形成分の多い懸濁液中での測定が困難となっている。

結晶多形転移のリアルタイム観察

図2 (±)-NNMe3の優先富化現象を誘起する準安定結晶
(ガンマ形)から安定結晶(デルタ形)への多形転移
図2 (±)-NNMe3の優先富化現象を誘起する準安定結晶(ガンマ形)から安定結晶(デルタ形)への多形転移
図4 プローブ型ATR-FTIR分光光度計を用いる (±)-NNMe3
のエタノール過飽和溶液(過飽和度約10倍)からの結晶化
プロセスの追跡
図4 プローブ型ATR-FRIR分光光度計を用いる (±)-NNMe3のエタノール過飽和溶液(過飽和度約10倍)からの結晶化プロセスの追跡

 「優先富化現象」は、ある種のラセミ結晶(ラセミ混晶またはラセミ固溶体)の結晶化の際に起こる、準安定結晶相(ガンマ形)から安定結晶相(デルタ形)への多形転移に伴って生じる「対称性の破れ」が原因となって発現する、動的光学分割現象である(図2)1)。実際に、ラセミ体の (±)-NNMe3のガンマ形とデルタ形の結晶構造を解析し、ついでエタノール過飽和溶液から結晶析出終了までの結晶化プロセスをプローブ型ATR-FTIR分光光度計により追跡したところ(図3)、溶液中で最初にガンマ形の超分子会合体が形成され、続いてそれが結晶化し、徐々にデルタ形結晶へ転移することが確認された(図4)2)
 このプローブ型ATR-FTIR分光光度計を用いるin situ結晶化プロセス追跡法は、今後、ある物質を溶媒から結晶化させる際に、多形転移を伴うか否かを判定するための常套手段として頻繁に用いられるであろう3)。すなわち、過飽和溶液中と析出結晶のIR スペクトルを比較し、それらが異なれば、結晶化プロセス中に多形転移が生じたことになる。また、こうして得られた情報は、選択的な結晶多形作成(クリスタルエンジニアリング)のための条件(溶媒、濃度、温度)検討の指針となるであろう。

図3 プローブ型ATR-FTIR分光光度計を用いる(±)-NNMe3の結晶化プロセスの追跡
図3 プローブ型ATR-FRIR分光光度計を用いる(±)-NNMe3の結晶化プロセスの追跡

結晶多形の確認
 同じく「優先富化現象」を示すが、準安定ガンマ形結晶(結晶化初期段階で析出)と、それが多形転移して得られた安定結晶間で、粉末X線回折パターンにほとんど差がみられないラセミ体の (±)-NPMe3化合物に出会した(図5)。DSC(示差走査熱量)測定では両者の融点に差が見られた(図6)。もし、両者が多形の関係にあるならば、水素結合様式に相違がみられると予想して、ATR-FTIR分光光度計のプローブセンサーの先端に両粉末結晶をそれぞれ押しつけて数秒間測定したところ、両者間に明確な相違が見られた(図7)4)。その後、この安定結晶の結晶構造はデルタ形とは異なるイプシロン形であることが、実空間法(モンテカルロアルゴリズムを使用)を用いる粉末X線回折データからの結晶構造解析により明らかとなった4)
 この事実は、一般に、ある物質の結晶多形の確認を粉末X線回折測定のみに頼ると、間違いを犯しかねないことを物語っている。慎重を期して、DSC 測定とATR-FTIR測定の併用が必要であろう。

図5 (±)-NPMe3の結晶の粉末X線回折図
図5 (±)-NPMe3の結晶の粉末X線回折図
a) 準安定ガンマ形結晶:
単結晶X線構造解析データよりシミュレート
a) 準安定ガンマ形結晶:単結晶X線構造解析データよりシミュレート
b) 安定エプシロン形結晶:
実測データ
b) 安定エプシロン形結晶:実測データ
図6 (±)-NPMe3の結晶のDSC曲線
a) 準安定ガンマ形結晶
a) 準安定ガンマ形結晶
b) 安定エプシロン形結晶
b) 安定エプシロン形結晶
図7 (±)-NPMe3の結晶(ガンマ形とエプシロン形)のATR-FTIRスペクトルの比較
a) O-H伸縮振動領域
a) O?H伸縮振動領域
b) S-O伸縮振動領域
b) S?O伸縮振動領域
 

おわりに
 ATR-FTIR分光法が有機結晶化学の研究に貢献した例を示した。試料調製が不要で、リアルタイムin situ観察が可能な点がこの分光法の大きな特徴である。
 最後に、プローブ型ATR-FTIR測定装置にたいする筆者の要望を記す。残念ながら、現在の装置はいずれも感度が十分とは言えず、溶液中や懸濁液中の測定では、数十秒を要するスペクトルの積算に頼っている状況である。さらに使い易さを優先して、先端プローブセンサーと分光光度計の間を光ファイバイーで接続したものでは、さらに感度が低下する。もし、速い反応や転移を追跡するのであるならば、数秒あるいはそれ以下の測定時間が要求されるはずである。当然のことながら、ATR-FTIR分光法の感度は、プリズムの全長に比例するはずであるが、プローブ中のプリズムサイズを大きくせずに感度の改善を達成する方法はないものであろうか。
 測定装置に改良の余地はあるものの、今後、固体有機化合物を取り扱う各研究分野で、プローブ型ATR-FTIR分光法の恩恵に浴する機会が増えることであろう。

参考文献

  1. R. Tamura, T. Ushio:
    Preferential Enrichment: A Dynamic Enantiomeric Resolution Phenomenon Caused by Polymorphic Transition during Crystallization.
    Enantiomer Separation: Fundamentals and Practical Methods (F. Toda, Ed.), Kluwer Academic Publishers, Dortrecht,2004, p.135-163.
  2. R. Tamura, D. Fujimoto, Z. Lepp, K. Misaki, H. Miura, H. Takahashi, T. Ushio, T. Nakai, K. Hirotsu:
    Mechanism of Preferential Enrichment, an Unusual Enantiomeric Resolution Phenomenon Caused by Polymorphic Transition during Crystallization of Mixed Crystals Composed of Two Enantiomers.
    J. Am. Chem. Soc., Vol.124, 13139-13153 (2002).
  3. 山邊麻衣子:
    有機化合物の結晶多形と多形転移.
    分離技術,Vol.32, No.4, 237-242 (2002).
  4. D. Fujimoto, R. Tamura, Z. Lepp, H. Takahashi and T. Ushio:
    Mechanism of a New Type of Solvent-Assisted Solid-to-Solid Polymorphic Transition Causing Preferential Enrichment: Prominent Influence of C(sp2)H---O Interaction on the Control of a Crystal Structure.
    Cryst. Growth Des., Vol. 3, 973-979 (2003).

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