赤外スペクトル解析のポイント -脂肪族不飽和炭化水素 (オレフィン)・芳香族編-

1. はじめに

今回は、分子構造の中に炭素同士の二重結合を持つ脂肪族不飽和炭化水素(オレフィン)とベンゼン環を持つ芳香族の赤外スペクトルの解析方法についてご紹介します。

2. 赤外スペクトルによるオレフィン・芳香族の分析

図1には炭素と水素のみで構成された炭化水素の主なピークの位置と分類方法の例を示します。高波数側から低波数側に、順にピークの有無を確認することで、3種類の炭化水素(パラフィン、オレフィン、芳香族)を簡単に分類することができます。

フローチャート

図 1 パラフィン・オレフィン・芳香族の赤外スペクトルピーク位置と分類フローチャート

図2には、代表的なパラフィン、オレフィン、芳香族の3,000 cm-1付近のピークを示します。

3,000 cm-1付近のピークの帰属

図 2 3,000 cm-1付近のピークの帰属*1)

3,000~2,800 cm-1付近のピークはC-H伸縮振動に由来するため、パラフィン、オレフィン、芳香族すべてにおいて見られます。今回ご紹介するオレフィンや芳香族は、-C=C-Hや-C≡C-Hのように、C-Hの炭素と隣接した炭素間に二重結合や三重結合を持つため、C-H伸縮振動は3,000 cm-1を超える高波数域に現れます。

次に、オレフィンと芳香族の区別に役立つ、1,650 cm-1および1,600 cm-1付近に出現するC=C伸縮振動に由来するピークについてご紹介します。図3には1,700~1,400 cm-1付近のイソプレンゴム(IR)およびポリスチレン(PS)のスペクトルを示します。

1,650 cm-1 ~ 1,450 cm-1付近のピークの帰属

図 3 1,650 cm-1~1,450 cm-1付近のピークの帰属*1)

イソプレンゴムの1,665 cm-1付近のピークはC=C伸縮振動に由来するピークです。一方で、ポリスチレンン1,600、1,490および1,450 cm-1付近のピークは、ベンゼン環のC=C 伸縮振動とC-C伸縮振動によって生じるベンゼン環の振動に由来します。ベンゼン環のC原子間ではC=CとC-Cが交互に入れ替わる共鳴という現象が生じます。これにより、オレフィンのC=Cに比べて、ベンゼン環のC=C結合は弱くなるため、ピーク位置はオレフィンと比較して低波数側にシフトします。

次に、オレフィンの1,000~800 cm-1付近に出現する、C=C-H面外変角振動に由来するピークと構造異性体についてご紹介します。図4に様々なオレフィンの構造と、それらの構造におけるC=C-H面外変角振動由来のピーク位置を示します。

様々なオレフィンの構造

図 4 様々なオレフィンの構造とC=C-H 面外変角振動由来のピーク位置

 

 

図5には、ビニル基と三置換体の構造を持つ1,2-ポリブタジエンとイソプレンゴムについて、C=C-H面外変角振動が見られる1,100~600 cm-1付近のスペクトルを示します。

990 cm-1付近、910 cm-1付近、840 cm-1付近のピークの帰属

図 5 990 cm-1付近、910 cm-1付近、840 cm-1付近のピークの帰属

ビニル基を持つ1,2-ポリブタジエンは、990 cm-1付近と910 cm-1付近に2つのピークを持ちますが、三置換体のイソプレンゴムは840 cm-1付近にピークを1つ持つのみであるとわかります。このように、1,000~800 cm-1付近のピーク位置を用いて、オレフィン構造中の置換基の位置を推定することができます。置換基の位置と赤外スペクトルに現れるピーク(本数と位置)の関係の詳細は参考文献*2) をご覧ください。なお、置換基の位置に極性の高い官能基が配置される場合や共役系を形成する場合は、置換基の位置推定が困難になります。例えば、ClやBrなど極性の高いハロゲノ基が構造中にある場合は、図4に記載したピーク位置から大きく低波数側にシフトします*1)

 

 

ここまでは、オレフィンにおけるC=C-H面外変角振動による構造の区別をご紹介しましたが、芳香族の場合にも置換基の位置推定にC=C-H面外変角振動由来のピークを用いることができます。

図6には芳香族の置換基の位置と、ピーク位置および本数の関係を示しました。図6に示したように、芳香族の場合には900~670 cm-1付近にC=C-H面外変角振動に由来するピークが出現します。また、2,000~1,660 cm-1付近にはC=C-H面外変角振動の倍音や結合音に由来するピークも出現します。

芳香族の置換基の位置とピーク位置および本数の関係

縦軸は高波数側と低波数側の目安としての相対的な強度を表している。
低波数側の青線部分にピークが現れる場合がある。

図 6 芳香族の置換基の位置とピーク位置および本数の関係

 

 

芳香族の構造異性体の例として、図7にはm-キシレン(1,3-二置換体)とp-キシレン(1,4-二置換体)の赤外スペクトルを示します。

900 cm-1付近、800 cm-1付近、780 cm-1付近、680 cm-1付近のピークの帰属

図 7 900 cm-1付近、800 cm-1付近、780 cm-1付近、680 cm-1付近のピークの帰属*1)

芳香族における置換基の位置や個数によって、C=C-H面外変角振動由来のピーク位置や本数も変化するため、これらのピーク位置と本数を確認することで、構造を推定することが可能となります。
また、図6に示したように、2,000~1,660 cm-1付近にもピーク強度は弱いですが、C=C-H面外変角振動の倍音や結合音に由来するピークが確認されます。これらのピークは赤外吸収を示す官能基が非常に少ない波数領域に出現するため、900~670 cm-1付近のピークと合わせて確認することで、推定の精度を高めることができます。

なお、芳香族化合物の中には、ニトロ基やカルボキシ基などの極性の強い置換基を持つものも多くあります。この場合、図6に示した置換基の位置と900~670 cm-1付近 のピークの関係性は崩れ、低波数側にピークがシフトする、もしくは置換基に由来するピークと重なるなどの理由で、判断が難しくなります*1) , *3)

※IUPAC命名法の勧告により-COOH置換基はカルボキシ基と呼称します。

3. ブタジエンゴムのトランス型とシス型の区別

広く応用されているポリオレフィンに、ゴム材料があります。ブタジエンゴム(BR)はスチレンブタジエンゴム(SBR)や天然ゴム(NR)と並ぶ代表的な汎用ゴムの一つです。ブタジエンゴムは1,3-ブタジエンというモノマーが付加重合することで合成されます。そして、重合後のブタジエンゴムは3種類の幾何異性体の混合物になります。
なお、3種類の幾何異性体の内訳は、図5に記載したビニル型(1,2-ポリブタジエン)と、トランス型(trans-1,4結合)、そしてシス型(cis-1,4結合)であり、重合方法や用いる触媒を変えることで、幾何異性体の割合をある程度コントロールすることができます*4)。特にシス型を90%以上含むブタジエンゴムは高シスブタジエンゴム、40%以下のものは低シスブタジエンゴムと呼ばれ、目的に応じて使い分けられています。
車のタイヤを例に挙げると、引張弾性の優れる高シスブタジエンゴムはサイドウォールに用いられており、耐摩耗性に優れる低シスブタジエンゴムはトレッド面(地面との接地面)に用いられています。

高シスブタジエンゴムと低シスブタジエンゴムの赤外スペクトルは、ビニル基、trans-ビニレン基、cis-ビニレン基の割合の違い、C=C-H面外変角振動(1,000~800 cm-1付近)で区別することができます。図8に高シスブタジエンゴム、低シスブタジエンゴム、高トランスブタジエンゴムの赤外スペクトルを示しました。幾何異性体の含有量に応じて該当の波数範囲の形状が大きく異なるため、赤外スペクトルはブタジエンゴムの種類を区別するために役立ちます。

ブタジエンゴム

図 8 高シス、低シス、高トランスブタジエンゴムの赤外スペクトル

4. まとめ

今回ご紹介した赤外スペクトル解析のポイントを以下にまとめて記載します。

●C-H伸縮振動由来のピーク位置が3,000 cm-1を超えた波数域に存在しているかどうかを確認することで、パラフィンとオレフィンおよび芳香族を区別することが可能となる。
●オレフィンと芳香族の区別はC=C伸縮振動に注目する。1,650 cm-1付近にピークがある場合はオレフィン、1,600 cm-1と1,500 cm-1付近にピークがある場合は芳香族と判断できる。
●オレフィンの幾何異性体/構造の区別はC=C-H面外変角振動(1,000~800 cm-1付近)に注目する。これはブタジエンゴムの構造の区別(高シス、低シス)に応用できる。
●芳香族の置換基の位置の推定にはC=C-H面外変角振動(900~670 cm-1付近)に注目する。微弱であるが、補助的にC-H面外変角振動の倍音や結合音(2,000~1,660 cm-1付近)も活用するとよい。


次回は、カルボニル基に関する解析ポイントをご紹介します。

 

参考文献

  • 田中誠之、寺前紀夫、「赤外分光法」、共立出版(1993)
  • N. B. Colthup : J. Opt. Soc. Am. 40, 397(1950)
  • P. J. Larkin : “Infrared and Raman Spectroscopy : Principles and Spectral Interpretation, Second Edition”, Elsevier(2017)
  • 曽根卓夫、日本ゴム協会誌、88、178(2015)