フーリエ変換赤外分光光度計(FTIR)で取得したデータを解析する際、近年では解析に使用するデータベース数の増加や検索ソフトウェアのアルゴリズム改良、操作性の向上により、誰でも簡単に赤外スペクトルの検索を行い、瞬時にPC画面上に結果を表示することができるようになりました。しかしながら、ソフトウェアによって解析された結果が正しいものかどうか判断するのは分析者であり、この判断のためには、未だに多くの知識や経験を必要とします。今回は基礎編として、解析する赤外スペクトルの縦軸、分子振動の種類や特性について触れ、代表的な官能基の特性吸収帯についてご紹介します。

1. 赤外スペクトルの縦軸

解析するFTIRデータには透過率スペクトルと吸収スペクトルの2種類ありますが、どちらの表示で解析したほうが良いでしょうか。ここでは、2種類の表示についてご紹介します。まず、エタノールの赤外スペクトルについて、良好なスペクトルとピークが飽和した場合の赤外スペクトルの重ね描きを図1に示します。左側が透過率表示、右側が吸光度表示です。

  • エタノールの赤外スペクトル
  • エタノールの赤外スペクトル

図 1 エタノールの赤外スペクトル(左側:透過率表示、右側:吸光度表示)

良好なスペクトルの場合(黒線)、両表示ともピークが明瞭に確認でき、ピーク位置も同じであることがわかります。つまり、どちらの表示で解析を行っても、結果に影響を与えないと言えます。

一方、ピークが飽和したスペクトルの場合(赤線)、透過率表示では3,000 cm-1付近や1,050 cm-1付近のピークは、そのほとんどが飽和しているためにピーク位置を確認することが困難であることがわかります。また、吸光度表示では透過率表示よりも全体のスペクトル形状が把握しやすいこともわかります。これは、以下に示すランベルト・ベールの法則(Lambert-Beer law)によって説明することが可能です。

透過の模式図

図 2 透過の模式図

図2のように、試料に対して強度I0の赤外光を入射し、試料を透過した赤外透過光の強度がIであったとします。この場合、試料の透過率および吸光度は以下の数式で表すことができます。
 

透過率 T(%)≡(I /I0)=10-εcL       …式(1)
吸光度 A≡log10(I0 /I)=log1010εcL=εcL     …式(2)

ε:モル吸光係数、c:濃度(mol/l)、L:光路長(cm)、λ:波長


式(1)および式(2)より、透過率と吸光度の関係は以下の式(3)で示すことができます。
 

A≡log10(1/T) … 式(3)

 

つまり、吸光度表示と透過率表示は対数の関係となっており、透過率表示では、飽和の影響によって強度の強いピークが潰れやすい傾向になると言えます。しかし、吸光度表示では確認が困難な微弱ピークは、透過率で表示することにより確認しやすくなります。以上をまとめると、

1. 飽和しない良好なスペクトルを取得すれば、透過率/吸光度表示のどちらを使用しても問題ない
2. 飽和したスペクトルの場合、スペクトル形状全体を把握するためには吸光度表示の方が良い
3. 透過率表示では、取得するスペクトルを飽和させることにより、微弱なピークを大きく表示できる

となります。吸光度表示と透過率表示は分析目的に応じて使い分けましょう。
なお、今回はスペクトルの解析についてご説明しますが、FTIRを用いた定量分析を行う場合、式(1)より透過率は濃度に比例しないため、透過率表示のスペクトルは不向きです。 

2. 分子の基準振動

有機物や一部の無機物に赤外光を照射すると、赤外光と分子の相互作用により振動が発生します。この振動は、分子を構成している原子の運動から成ります。原子数の少ない分子では、振動の種類は多くありませんが、多くの原子から構成される多原子分子では、数多くの複雑な振動が引き起こされます。ここでは、基本的な分子の振動モードについてご紹介します。

基本的な振動モードを図3に示しました。基準振動は、大別すると原子間の距離が伸び縮みする伸縮振動と、原子間の角度が変わる変角振動に分けられます。さらに、伸縮振動には、対称伸縮振動と逆対称伸縮振動、変角振動には、はさみ面内変角振動と横揺れ面内変角振動、ひねり面外変角振動と縦揺れ面外変角振動があります。

分子の基準振動

図 3 分子の基準振動

しかし、これらすべての基準振動が吸収として検出されるとは限りません。赤外分光法でピークが検出されない要因として次の3つがあります。

1つ目は、測定波数領域外にピークを持つ振動です。
これは4,000 cm-1から400 cm-1(中赤外領域)の外に吸収を持つ振動が該当します。例えば、多くの無機物は400 cm-1以下の遠赤外領域に吸収を持つため、通常のFTIRでは検出できませんが、遠赤外対応可能なFTIRであれば検出することができます。

2つ目は、モル吸光係数が小さい振動です。
これは低濃度の試料を測定する場合などが該当します。この場合、試料によっては濃縮などの前処理を行うことにより、検出可能になる場合もあります。

3つ目は赤外選択律です。
分子内の電荷の偏り具合を示す物理量として双極子モーメントがあります。赤外吸収は、振動によって分子内の双極子モーメントが変化しないと起こりません。例えば、図4に示すように、同一原子から成る2原子分子である窒素や酸素では双極子モーメントが変化しないため、赤外吸収が起こりません。異なる原子からなる二酸化炭素でも対称伸縮振動のように双極子モーメントが変化しない場合は赤外吸収が起こりません。赤外スペクトルの測定が大気中で行えるのは、窒素や酸素が赤外光を吸収しないためとも言えます。

赤外選択律が理由で振動を検出されない振動

図 4 赤外選択律が理由で振動を検出されない振動

基準振動の具体例として、直線分子である二酸化炭素(CO2)、および非直線分子である水(H2O)の基準振動を考えます。

① 二酸化炭素(CO2)の基準振動

 図5にCO2の吸収スペクトルと基準振動を示します。

二酸化炭素(CO2)の吸収スペクトルと基準振動

図 5 二酸化炭素(CO2)の吸収スペクトルと基準振動

逆対称伸縮振動は2,350 cm-1付近に、変角振動が667 cm-1付近に現れます。ただし、対称伸縮振動のピーク位置は理論計算上1,340 cm-1付近となりますが、赤外不活性であるために赤外スペクトル上にピークは見られません。

なお、CO2の対称伸縮振動はラマン活性ですが、ラマン測定ではフェルミ共鳴*1) と言われる現象のため、1,388 cm-1付近および1,286 cm-1付近にピークが2本に分裂して検出されます*1) 

また、赤外スペクトル上で3,700 cm-1付近と3,600 cm-1付近に小さいピークが見られますが、2,350 cm-1付近の赤外活性ピークと1,388 cm-1付近および1,286 cm-1付近のラマン活性ピークの結合音と考えられます*2)

② 水(H2O)の基準振動

水(H2O)の吸収スペクトルと基準振動を図6に示します。

水(H2O)の吸収スペクトル

図 6 水(H2O)の吸収スペクトルと基準振動

逆対称伸縮振動、対称伸縮振動は3,400 cm-1付近に重なって現れます。また、変角振動は1,640 cm-1付近に現れます。液体では水分子同士が近接しており自由な回転運動をすることができず回転スペクトルは現れません(回転スペクトルについては後述します)。

また、水分子の凝集や、隣接した水素と酸素間で発生する水素結合などの影響で、ピークの強度、位置、そして、ピーク形状が変化します。なお、低波数側にあるピークは基準振動ではなく、束縛回転振動(Libration)と解析されています。

次に、図7に水蒸気の吸収スペクトルを示します。

  • 水蒸気の逆対称伸縮振動と対称伸縮振動は3,756 cm-1 と3,652 cm-1に、また変角振動は1,595 cm-1付近に現れます*1)

    ただし、ここで示した水蒸気はガスであり、自由な回転運動をすることが可能となるため、回転スペクトルも現れるようになります。この結果、振動スペクトルに回転スペクトルが重なり、細かいピークが多数見られます。

    なお、上記に記載した基準振動の波数は、様々な測定の工夫を重ね、実測値と計算値から求められた数値です。参考までに、600 cm-1付近から低波数側に見えているピークは、基準振動ではなく、遠赤外領域へ続く水蒸気の純回転スペクトルの一部です。

    わずか3原子からなるCO2やH2Oでも複数の基準振動を持つため、複雑な構造の化合物ではより多くの吸収が見られることとなります。

  • 水蒸気の吸収スペクトル

    図 7 水蒸気の吸収スペクトル

3. 代表的な官能基の特性吸収帯

赤外スペクトルを解析する際、縦軸に官能基、横軸に吸収波数域を示したColthup表*3) などの特性表は大変有効です。しかし、特性表を見ながら赤外スペクトル上に出現したピークを解析するには、経験や一定量の知識が必要となります。ここでは、明日から役立つ知識をご紹介します。

はじめに、いくつかの規則を覚えると比較的容易に赤外スペクトルを読むことができます。主要な官能基の特性吸収帯を図8に示します。官能基周辺の環境により吸収波数はシフトするため、それぞれ吸収位置(ピーク、バンドなどとも呼ぶ)には幅を持たせて表記しています。

では、どの領域に着目して解析を進めればよいのでしょうか。実際のスペクトル解析で主成分を定性する際には、まず高波数領域側からピークに着目すると場合分けが少なく、定性への近道となります。一方、1,500 cm-1以下は指紋領域と呼ばれ、化合物に特有な吸収が数多く現れるだけでなく、それらが重なり合うため定性は困難となります。

主要な官能基の特性吸収帯

図 8 主要な官能基の特性吸収帯

4. まとめ

今回は、赤外スペクトルの解析における基礎的な内容について解説しました。
次回は、図8に示した代表的な官能基の特性吸収帯について、各々の官能基によるピーク位置や強度、幅などの特徴や、解析を進めるうえで有益な解析方法をご紹介します。
これから赤外分光法をはじめようと考えられている方のお役に立てますと幸いです。

 

参考文献

  • 田中誠之、寺前紀夫、「赤外分光法」、共立出版(1993)
  • 中川一朗、「振動分光学」、学会出版センター(1987)
  • N. B. Colthup : J. Opt. Soc. Am. 40, 397(1950)