島津製作所 技術顧問 浅川直樹

本誌Vol.96および97では,試料の容器吸着のメカニズムならびに既に商品化した低吸着バイアル(LabTotal Vial, TORAST-HTMBio Vial)の吸着抑制効果について述べた。この間,バイアルへの吸着のみならず,試料のサンプリングや試料の希釈など試料調製に多用されているPP(ポリプロピレン)製ピペッターチップ(PP製チップ)への吸着も分析結果の信頼性を損なう要因と認識しているユーザーから,低吸着PP製チップの開発の要請が数多く寄せられた。

そこで島津グループでは,TORAST-HTMBio Vialに引き続きPP製チップへの吸着現象を把握すると共に,低吸着PPチップの開発に着手し,世界に先駆けてTORAST-HTMTipの商品化に至った(JASIS2016において発表)。本編では,PP製チップへの吸着現象,TORAST-HTMTipの概要と吸着抑制効果について紹介する。

PP 製チップへの吸着現象

PP製チップへの吸着は疎水的吸着が主であるため,吸着抑制法として試料溶液に有機溶媒(メタノール,アセトニトリルなど)を添加することが一般的である(Vol.96参照)。しかし,近年の LC および LC/MS分析の高速化に伴い,充塡剤粒子径およびカラムサイズは微小化してきている。このため,有機溶媒の多い試料溶液を逆相モードのLCカラムに適用すると,試料中の有機溶媒によるピークのブロード化を引き起こし,十分な分離が得られないことが多々ある。

この場合には,試料中の有機溶媒の添加量や試料注入量を制限するなどして対応するものの,LC および LC/MSの本来の高分離力および高感度検出力を十分に発揮できていないのが現状である。従って,LC および LC/MSの性能を最大限発揮させるためにも,有機溶媒フリーの試料液が好ましく,この際に懸念されるPP製チップへの疎水的吸着を抑制するチップの開発は極めて意義深い。

TORAST-HTMTip の開発

島津グループでは,昨年より低吸着のPP製バイアルTORAST-HTMBio Vial を商品化し,多くのユーザーより支持を得てきた。このチップは,PP製チップ(未処理)表面に超親水性/非イオン性の高分子ポリマーを化学結合させることにより,PP製チップ表面での疎水的吸着を抑制するものである(図1)。

図1 TORAST-H(TM) Tip の概要
図1 TORAST-HTMTip の概要

しかも,この化学結合は極めて安定であることから,広範な溶媒での試料調製が可能であることを特徴とする。

TORAST-HTMTip の吸着抑制効果

TORAST-HTMTipの吸着抑制効果を検証するために,ペプチドおよび塩基性薬物をモデル試料として,本チップ,未処理チップおよび市販チップへの吸着について検討した。

1) ペプチド
ペプチドは,容器への吸着が顕著であることを紹介した(Vol.97参照)。そこで,ミオグロビンをトリプシン消化した試料(≒1.9 pmol/mL)をTORAST-HTMTip,未処理チップ(TORAST-HTMTipのベースチップ)および市販PP製チップを用いてTORAST-HTMBio Vial にそれぞれ採取し,試料溶液とした。各試料溶液について,HPLCで得られたクロマトグラムを 図2 に示す。

図2 ミオグロビントリプシン消化物のPP製チップへの吸着)
分析条件
 カラム: Aeris Peptide ( 内径 2.1 mm,長さ 150 mm,粒子径 1.7 µm )
 移動相: 0.1 %TFA 水溶液/0.1 %TFA アセトニトリル溶液,グラジエント溶離
 検 出: 紫外 216 nm
図2 ミオグロビントリプシン消化物のPP製チップへの吸着

各ペプチドのピーク(No1 ~ 16)において,親水性ペプチド(保持の小さいNo.1 ~ 9)のピーク面積はチップによる差は認められなかった(図3)。

図3 ミオグロビントリプシン消化物のPP製チップへの吸着
図3 ミオグロビントリプシン消化物のPP製チップへの吸着
(拡大クロマトグラム: ピークNo.1~9)

一方,疎水性のペプチド(保持の大きいNo.10 ~ 16)のピーク面積は,チップにより顕著な差が認められ,TORAST-HTMTipに対し未処理チップおよび市販チップでは60 ~ 90 %超のピーク面積が減少した(図4)。このことは,PP製チップへの吸着は疎水的吸着に起因することが示唆されると同時に,UV検出が可能な試料濃度でさえ,ペプチドは顕著にPP製チップに吸着することが明らかとなった。一方で,TORAST-HTMTipは未処理チップおよび市販チップと比較し,顕著な吸着抑制効果を示した。

図4 ミオグロビントリプシン消化物のPP製チップへの吸着
図4 ミオグロビントリプシン消化物のPP製チップへの吸着
(拡大クロマトグラム: ピークNo.10~16)

2) 塩基性薬物
疎水性の高い抗うつ剤であるイミプラミンおよび親水性の高いβブロッカーであるアテノロールをモデル化合物として,LC/MS(NexeraX2, LCMS-8050)により,低濃度試料(1 ng/mL および 10 ng/mL水溶液)でのTORAST-HTMTipと未処理チップへの吸着を比較した。

i) イミプラミン
イミプラミン(logP:4.28)は,疎水性が高く PP表面への吸着が懸念される薬物の一つである。未処理チップは,TORAST-HTMTip に対し,10 ng/mLで66 %, 1 ng/mL で74 % のピーク面積がそれぞれ減少した。この結果は,イミプラミンが PP製チップ表面に容易に吸着することを示すものである。一方で,この結果は,TORAST-HTMTip の顕著な吸着抑制効果を示唆したことになる(図5)。

図5 イミプラミン(1, 10 ng/mL)のPP製チップへの吸着
図5 イミプラミン(1, 10 ng/mL)の PP製チップへの吸着
(LC/MSによるクロマトグラム)

ii) アテノロール
アテノロール(logP:0.43)は親水性の高い薬物の一つであり,PP製チップ表面への吸着は小さいことは容易に推察できる。アテノロール1 ng/mL水溶液をTORAST-HTMTipおよび未処理チップでそれぞれサンプリングした後,TORAST-HTMBio Vialに移し,試料液とした。この試料につきLC/MSでピーク面積を比較した。未処理チップはTORAST-HTMTipに対し,僅かなピーク面積の減少を認めた。そこで,低濃度試料を想定したモデル実験として,さらにチップとの接触面積を5倍および10倍に増やしたところ,TORAST-HTMTipに対する未処理チップでのピーク面積は,それぞれ17および30 %の減少を認めた。
この結果は,アテノロールに代表される親水性の高い化合物でさえ,低濃度試料において PP 製チップに吸着することが示唆された。

本編での一連の紹介は,低濃度試料における PP製チップへの吸着の実態を把握した初めての結果であり,低濃度試料の調製の際の PP製チップの安易な使用が分析バラツキの一因となり得ることへの警告でもある。併せて,TORAST-HTMTip は,低濃度試料の調製における PP 製チップへの吸着抑制効果を発揮することから,TORAST-HTMBio Vialとの併用により,LC/MSを始めとする高感度分析の信頼性確保への貢献が大いに期待される。

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