恐ろしい…試料の容器吸着(前編)

UHPLC Technical

LCtalk96号 TEC
島津製作所 技術顧問 浅川直樹

近年のLC/MS は,装置開発および分離技術の目覚ましい進歩と共に,生命現象の解明,病態の診断,医薬品開発,環境および食品関連などの分野で魅力ある分析手段として広 範に用いられてきている。中でも,高選択性および高感度検出に威力を発揮することから,試料中の微量成分の定量法として不可欠な分析手段になってきてい る。

反面,このLC/MSを微量成分の定量法に適用する際に,本質的な一つの課題が浮かび上 がってくる。それは,LC/MSが高感度検出力を有するがために,試料は極めて低濃度となる。この低濃度試料であるがゆえに生じる試料の容器・器具への吸 着は,定量結果の信頼性を損なう致命的な要因になり得ると言う点である。分析化学に携わる者の使命として,“信頼性の高い分析結果を,如何に簡便かつ迅速 に確保するかを追究する”との立場であるならば,どれほどの分析者がこの容器への吸着に配慮しているかは極めて疑問である。

今後,LC/MSが高感度定量法として重要な役割を果たすことは,誰もが容易に予想でき る。そのためにはLC/MSによる高感度定量法の信頼性を高めることは極めて意義深い。本誌では,多くの分析者が見過ごし易い試料の容器への吸着に焦点を 当て,これからのLC/MS分析の一助になれば幸いである。

今回の寄稿にあたり,試料の容器への吸着で苦い経験を思い起こす。今から35年前に遡る。 20残基程のペプチド製剤の分析をHPLCで行っていた時のことである。当時のHPLC装置は,現在のような自動化された高性能のHPLC装置とはほど遠 く,マイクロシリンジ(内面はガラスの擦り状)で一定量の試料(数μg/mL)を採り,手動でインジェクターに注入していた。その際の分析結果は何度繰り 返してもバラツキは大きく,結果を見るたびに愕然とした。試行錯誤での原因究明の中,マイクロシリンジを洗浄すればするほど,さらに採った試料を秒刻みで 放置すればするほど検出されるピークは小さくなることに着目した。

このバラツキの原因がマイクロシリンジへの吸着であることにやっと辿り着いた。たかがマイ クロシリンジへの吸着でさえ,分析結果の信頼性に極めて大きな影響を及ぼすと言う“恐ろしさ”を実感し,試料調製からHPLC注入に至るプロセスの吸着対 策の必要性を痛感した。昨今の自動化されたHPLC装置では,吸着現象を見過ごしていたかも知れないことを憶えば,この苦い経験は,私の吸着に対する意識 を高め,容器・器具への吸着対策の貴重な機会へと化した。これを機に容器や器具への吸着を意識するようになり,試料調製時の容器・器具への試料の吸着現象 を,まず把握することを常としてきた。

さらに,最近になってLC/MS分析者から“血漿試料溶液では目的成分ピークは検出される が,標準試料溶液はピークが検出されない”とか,“調製した標準試料溶液を翌日に分析すると,ピークが検出されない”とか,何度か耳にすることがある。こ のような現象は,試料の安定性に基づく分解も考えられるが,大半は容器への吸着であると容易に推察できる。特に血漿試料溶液の場合,試料中の夾雑物が優先 的に容器に吸着し,目的成分の吸着を抑制する役割をしているとの理解であり,BSA(bovine serum albumin)を吸着防止剤として用いるのと同じである。いずれにせよ,これからのLC/MSによる分析評価が重要な役割と大きな期待を担う以上,試料 の容器への吸着現象を十分に把握し,信頼性の高い結果の獲得に向けて努力する必要がある。

私は,この一連の経験から試料の吸着メカニズムをHPLCの分離メカニズムに置き換えて解 釈してきた。すなわち,HPLCによる分離メカニズムは固定相への溶質の吸着強度を移動相で制御しているに他ならない。これを試料の容器への吸着現象に置 き換えると,固定相を容器の材質に,移動相を試料調製溶液に,また保持挙動を吸着強度にそれぞれ対応すると考えた。

一般に,試料調 製に用いる容器は主に2種類ある。その容器の材質として一つはガラス容器,もう一つはポリ容器(PP:ポリプロピレン,PE:ポリエチレン)が相当する。 ガラス容器の表面は,親水性の高いシラノール基と疎水性のシロキサン(シリカゲルを高温で溶融・成形する際のシラノール基の脱水)で覆われている。従っ て,ガラス容器ではシラノール基によるイオン的吸着(陽イオン交換モード)とシロキサンによる疎水的吸着(逆相モード)が同時に引き起こされる。このイオ ン的吸着現象は,塩基性化合物がHPLCカラムの残存シラノールによりピークのテーリングや保持の増大を引き起こす現象と同じ解釈である。一方,ポリ容器 では高分子ポリマーに基づく疎水的吸着のみが生じる。すなわち,容器への吸着メカニズムは容器の材質によりそれぞれ異なる(図1)。このことから,pKa(酸解離定数)の高い塩基性化合物などはガラス(シラノール基)に吸着し易く,logP(オクタノール/ 水分配係数)の大きい化合物はガラスにもポリ容器にも吸着し易いことになる。試料調製の際には,試料の物性情報(化合物のpKaとlogP)に基づいて容器を選択することは吸着対策の一つになる。

図1. 塩基性化合物の容器への吸着メカニズム
図1. 塩基性化合物の容器への吸着メカニズム

以上のように,かつての苦い経験を振り返れば,容器への吸着現象は低濃度試料において顕著に現れるため,この際の容器・器具への吸着を抑制する試料調製条件を見いだすことは分析法の信頼性を確保する上で極めて重要となる。

そこで,私の容器への吸着を抑制する試料調製法を以下に紹介する。まず,目的成分が塩基性化合物,酸性あるいは中性化合物に該当するかを確認する。次に,用いる試料調製容器はガラス容器あるいはPP容器なのかにより,それぞれ異なった試料調製を行う。

1) 酸性化合物および中性化合物
酸性化合物および中性化合物のガラスおよびPP容器への吸着は,疎水的吸着が主となる。従って,これら吸着の抑制には,試料調製液に有機溶媒(メタノール,アセトニトリルなど)あるいは非イオン性界面活性剤を添加する。目的成分のlogPによるが,有機溶媒の場合の添加量は,一般的に10 ~ 50 %,界面活性剤の場合では,0.1 % 程度の添加が効果的な吸着抑制の試料調製となる。

2) 塩基性化合物
塩基性化合物はガラス容器およびPP容器により,それぞれ吸着メカニズムが異なるため,試料調製容器の材質の選択には留意する必要がある。例として,塩基性化合物の吸着抑制法の概要を図2に示す。

a) ガラス容器
ガラス容器では,イオン的吸着および疎水的吸着が同時に生じるため,それぞれの吸着メカニズムに対応した試料調製が必要となる。イオン的吸着の抑制には,シラノールとの相互作用を抑制するために,塩(NaClなど)を添加し,塩の陽イオン(Na+など)でシラノールをブロックする。あるいはシラノールの解離を抑制するために,試料調製液を酸性条件(りん酸および酢酸などの添加)にする。一方,疎水的吸着の抑制には,酸性・中性化合物と同様に,試料調製液に有機溶媒や非イオン性界面活性剤を添加する。

b) PP容器
PP容器では疎水的吸着が生じるため,この疎水性吸着を抑制するために,試料調製液に有機溶媒や非イオン性界面活性剤を添加する。従って,試料調製液中に 塩と有機溶媒あるいは非イオン性界面活性剤を共存させることは,ガラスおよびPP容器双方の吸着抑制法として効果的である。

図2. 塩基性化合物の容器への吸着抑制法
図2. 塩基性化合物の容器への吸着抑制法

とは言え,HPLC およびLC/MSによる高感度定量には,吸着抑制した試料調製液に由来する分離への影響やMSでのイオンサプレッションに対する影響を考慮する必要があ る。また,最近ではHPLCおよびLC/MSのパフォーマンスの向上を図るために,充塡剤の粒径と内径を小さくした分析カラムが汎用されてきているため, 試料溶液(注入溶液)の有機溶媒量が分離に及ぼす影響についての配慮も併せて求められる。このように高感度定量における容器への吸着を抑制する試料調製液 の最適化条件の設定には,多くの検討を要するのが実態である。

そこで, 容器表面で生じる試料のイオン的吸着と疎水的吸着を抑制する容器表面の処理条件の最適化に向け,汎用性に優れたHPLCオートサンプラーに適用可能な低吸 着バイアルの開発に注力してきた。後編では,開発したバイアルの吸着抑制効果の具体例として,ペプチドおよび塩基性化合物などを取り上げて紹介する。  <後編へ続く>。

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