執筆者紹介

vol.10 異物分析におけるFT-IRの役割と限界

杉田恵三子 先生

株式会社 住化分析センター 大阪事業所
組成解析グループ サブリーダー  (ご所属・役職は2008年4月発行時)

異物分析の実際
 最近のニュースでよく目にするように,現代社会においては,「異物」に対して過敏過ぎるのではないかと思えるほどの厳しい目が向けられている。とりわけ,飲食物や医薬品中の「異物」は人体への直接的な影響が懸念されるだけに,特に厳しいといえる。本稿では,医薬品の異物分析を例にとり,FT-IR分析で分かることとその限界について紹介する。

sample

 

図1 錠剤正常部のFT-IRスペクトル

 

sample

 

図2 錠剤シミ部のFT-IRスペクトル

 

sample

 

図3 錠剤正常部とシミ部の差スペクトル

 

sample

 

図4 シリコーン系化合物のFT-IRスペクトル例

 

[事例1]錠剤表面のシミ状異物の分析
錠剤表面に認められたシミ状異物を光学顕微鏡観察および顕微FT-IR分析により解析した事例である。

【ステップ1:光学顕微鏡観察】
シミ部の観察を行ったところ,約1mm×0.8mm の範囲にわたってオイル状物質が付着し,染み込んだような状態であることが観察された(写真1,写真2参照)。

写真1 錠剤表面のシミ 写真2 シミ部の拡大像

【ステップ2:前処理】
錠剤表面の正常部及びシミ部を金属製治具にて直接採取した。
【ステップ3:顕微FT-IR分析】
正常部及びシミ部について顕微FT-IR測定を行い,両者の差スペクトル(図3)を求め,赤外スペクトルデータベース検索を行ったところ,シリコーン系化合物のFT-IRスペクトル例(図4)に類似していることが判明した。
【まとめ】
錠剤表面のシミ状異物は,シリコンオイルやシリコングリスなどのシリコーン系化合物が付着したものであると考えられた。


sample

 

図5 黒色異物のFT-IRスペクトル

 

sample

 

図6 黒色異物のEPMAスペクトル

 


[事例2]顆粒状薬剤中に混入した黒色異物の分析
顆粒状薬剤中に認められた黒色異物を,光学顕微鏡観察,顕微FT-IR分析,EPMA元素分析により解析した事例である。

【ステップ1:光学顕微鏡観察】
黒色異物は,大きさ約200μmのゴム様の弾性を有する黒色物質であるように観察された(写真3,写真4参照)。

写真1 錠剤表面のシミ 写真2 シミ部の拡大像

【ステップ2:前処理】
黒色異物を溶媒中で洗浄して顆粒状薬剤を除去し,乾燥後,異物の一部を採取した。
【ステップ3:顕微FT-IR測定】
黒色異物の顕微FT-IR測定を行ったところ,ケイ酸塩由来と推察される吸収,ブタジエン由来と推察される吸収,およびスチレン由来と推察される吸収が確認された(図5参照)。
【ステップ4:EPMA元素分析】
黒色異物のEPMA元素分析を行ったところ,大量の炭素,多量の酸素,少量のアルミニウム,ケイ素などの元素が検出された(図6参照)。このことから,黒色異物の主成分は有機物であり,少量のケイ酸塩などが含まれる可能性が推察された。なお,ケイ酸塩はゴムの添加剤としてよく使用される物質である。
【まとめ】
顆粒状薬剤中に認められた黒色異物は,スチレンブタジエンゴム(SBR)の微小片が混入したものである可能性が考えられた。

異物分析の進め方
 異物分析は,限られた時間と予算の制約の中で,原因の解明に繋がる有用な情報を提供するために行う分析である。また,多くの場合,「異物」はごく限られた量しか入手できない。このため,(1)関連情報の収集,(2)異物の観察,(3)前処理,(4)測定,(5)解析の順に効率良く進めることが望ましい。

(1)関連情報の収集
 「異物」が発見され,原因解明が必要となった場合,適切な情報が欠如していると,正しい考察が行えない場合がある。特に,液体中に生じた沈殿物や浮遊物,部材に生じた析出物などの場合には,液体の主な組成や使用薬剤,周囲の環境などの情報を含めて考察する必要があり,必須情報であるので,異物が発生した状況とともに,これらの情報や予想物質等についても開示可能な範囲で情報のご提供をお願いしている。
(2)異物の観察
 「異物」そのものについてまず大切なことは,「観察すること」である。異物の大きさや形状,存在箇所,状態などにもよるが,目視観察だけでなく,可能であれば実体顕微鏡やマイクロスコープなどでも観察してみると,意外に多くの情報を入手できることに気付く。また,「触感」というものも重要な情報である。異物が樹脂っぽいのか,ゴムっぽいのか,粘着性があるのか,ゲル状なのか,粉っぽいのか・・・といった情報は,対象範囲の絞り込みに非常に役立つ場合がある。すなわち,事例1では,「オイル状物質が染みこんだのでは?」という予想を,事例2では,「黒色のゴム片が混入したのでは?」という予想をたてながら,次のステップに進むことができる。なお,色調や形状,大きさなどについて,文章だけでは説得力に欠けるので,可能であれば異物の写真を撮影しておくことが望ましい。
(3)前処理
 観察や触感の確認をとおして,「異物」が分析可能であると判断できた場合,前処理に移る。事前情報と観察結果から,最適な前処理方法を選択するのも分析者のセンスが問われるところであり,異物の大きさや量,存在箇所,状態などにより,前処理の難易度は大きく異なる。多くの場合,前処理は「異物」の一部を採取することで済むが,この場合にも必要に応じて洗浄処理や乾燥処理を行う。事例1の場合,抽出を試みるにはシミの範囲が小さすぎたため,シミ部と正常部の一部をそれぞれ採取することとした。事例2では,黒色異物表面に顆粒状薬剤が付着していたため,洗浄・乾燥後,サンプリングを行うこととした。このような混入異物の場合,異物表面には製品が付着していることがよくあり,本来得たい結果が得られない,解析が困難になる,間違った推定を行ってしまうなどの問題を秘めているため,注意が必要である。
(4)測定
 一般的に,前処理を行った「異物」につき,有機物の可能性が考えられる場合にはFT-IR測定を,無機物の可能性が考えられる場合には,SEM-EDXやEPMAの測定を,予想がつかない場合や有機物と無機物の混合物の可能性が想定される場合には両方の測定を行う。なお,FT-IRについては,「異物」を対象にする場合,顕微FT-IRや1回反射ATRがあると,様々なサンプルに対応でき,測定が比較的容易である。事例1ではFT-IR測定のみを,事例2ではFT-IR測定とEPMA測定を組み合わせて実施した。
(5)解析
 異物分析においては,(1)~(4)までの各ステップで得た情報や観察結果,測定結果をよく吟味しながら解析を行っていくことが大切である。
 事例1では,正常部とシミ部で得られたFT-IRスペクトル(図1および図2)をじっくり見比べてみると,1260cm-1付近および800cm-1付近のピーク形状が異なっていることが分かる。そこに着目し,両者の差スペクトル(図3)を求め,データベース検索を行ったところ,シリコーン系化合物(シリコンオイルやシリコングリス,シリコンゴムなど)でみられるスペクトル(図4)とよく類似していることが判明した。しかし,本事例の場合,異物の付着状況から考えて,シリコンゴムの可能性は無いであろうから,シリコンオイルもしくはシリコングリスが錠剤表面に付着し,染み込んだのではないかと推定するのが妥当であろう。

 事例2のFT-IRスペクトル(図5)では,有機物と無機物が混在したスペクトルが得られている。このような場合,無機物については,SEM-EDXやEPMAなどの元素情報を参考に解析するのが近道である。図6のEPMAスペクトルでは,C,O以外にAl,Siなどが検出されていることから,まず,ケイ酸塩やアルミニウム化合物を想定する。つぎに,FT-IRスペクトルを確認すると,3690~3620cm-1付近および1110~1010cm-1付近の吸収は,ゴムの充填剤・補強剤として用いられるカオリン(Al2O3・2SiO2・2H2O)に比較的類似していることがわかる。一方,有機物については,ゴム状の異物であるという観察結果を念頭において解析を行うと良い。無機物とのピーク重複が解析を困難にしているが,図5をよく見ると,970cm-1および910cm-1(主にブタジエン由来),760cm-1および700cm-1(主にスチレン由来)のピークを読み取ることができる。したがって,黒色異物はスチレンブタジエンゴム(SBR)のカケラが混入したものであると推定するのが妥当であろう。

異物分析におけるFT-IRの役割と限界
 FT-IRが異物分析において欠かすことのできない重要なツールであることは前述のとおりである。しかしながら,複数の有機物が混在しているケースや主成分の類縁物質・劣化物が想定されるケースでは,解析が困難な場合があるが,FT-IR(+元素情報)による解析に加え,MS,NMR,クロマト等の手法を組み合わせることにより,解析が可能となることが多い。つまり,主成分としての有機物と一部の無機物を大まかにみるというニーズにおいてはFT-IRは非常に有用であり,実際,異物分析の多くに対して必要十分であるが,詳細な解析が要求されるケースに対しては,FT-IRは1stステップとしての化合物系統の絞り込みを行うという重要な役割を担っているのである。

関連データ

関連情報