一回反射ATR法の普及とともに,固体,粉体,液体など様々な形状の試料が簡便に測定できるようになりました。しかしながら,硬くて表面形状がザラザラとした固体や粉体の測定では、試料とATRプリズムの密着性が低いため,良好な赤外スペクトルを得ることが困難な場合もあります。今回ご紹介する拡散反射法は,表面形状が粗い固体や粉体の測定に適した手法です。
この拡散反射法の特徴や測定原理,利用例などを解説いたします。

1. はじめに

FTIRによる粉体・固体試料の赤外スペクトル測定手法として,KBr(臭化カリウム)錠剤法があります。KBr錠剤法は,試料とKBr粉末を混合し,錠剤を作製して赤外透過スペクトルを測定する方法です。
一方,FTIRの普及とともに広く使われるようになった拡散反射法は,その名のとおり試料表面からの拡散反射光を測定することにより赤外スペクトルを得る方法です。第十五改正日本薬局方においても,固体試料の測定方法としてKBr錠剤法,ATR法,拡散反射法が記載されています。拡散反射法は錠剤を作る必要がないため前処理時間が少なくてすみますので,確認試験の方法としてもよく用いられています。
また,ATR法は固体,粉体,液体など様々な形状の試料を非常に簡便に測定できる手法ですが,良好な赤外スペクトルを得るには,試料とATRプリズムの密着性が重要なポイントとなります。表面形状の粗い固体や粉体の測定では,その密着性が低いため,充分なピーク強度を得ることが困難な場合があります。硬い結晶性の試料などとATRプリズムを無理に密着させようとすると,ATRプリズムを傷めてしまう恐れもありますので注意が必要です。
拡散反射法は,そのような表面形状が粗い固体や粉体の測定に適しています。さらに,この手法は試料表面への結合や吸着物質に対する知見が透過法に比べて多く得られる特徴もあります。

2.拡散反射法とは

図1に示すように粉体試料に光を照射すると,粉体表面で正反射する光と,試料内部に入り込み透過と反射を繰り返し,再び表面に出てくる拡散反射光(散乱光)があります。このうち拡散反射光を用いて粉体の赤外スペクトルを得るのが拡散反射法です。
拡散反射光は,粉体内部を繰り返し通過するため,透過スペクトルとよく似た吸収を受けます。しかし,吸収の弱い波数の光は試料内部を何度も繰り返し透過して表面に出てくることから,通常の透過スペクトルと比較して弱い吸収帯が強調されることになり,測定される吸光度と試料濃度が比例しません。このため,透過スペクトルとの比較や定量的な分析にはクベルカとムンク(Kubelka, Munk)によって解析的に導かれた,いわゆるクベルカ-ムンク関数(K-M関数)が用いられます。

Kubelka-Munk Function

 

粉体試料での光拡散の模式図
図1. 粉体試料での光拡散の模式図

ここで,f(R)はK-M関数,Rは絶対反射率,Kは分子吸光係数,Sは散乱係数です。しかし,試料の絶対反射率Rを測定することは困難ですので,実際の測定では,測定領域で分子吸光係数Kが0に近い値をもつKBrやKCl(塩化カリウム)などの標準粉体をリファレンスとした相対反射率r

Relative Reflection

を測定し,

K-M Function, Relative

を求めます。
実際に拡散反射として測定する光には,試料表面での正反射光が含まれます。より正確な拡散反射スペクトルを得るためには正反射光を減少させることが必要で,そのために粉体の粒子径を小さくする必要性があります。粉体の粒子径を波長と同程度まで小さくすると,正反射光の割合が減少するとともに,散乱効率が最も高くなります。また,粒子の大 きさとともに,形状,充填状態も重要な因子となります。 通常の測定では粉体試料をそのまま測定するのではなく,標準粉体であるKBrやKClを用いて適当な濃度(目安として1~10%程度)に希釈して測定します。

3. 拡散反射測定装置

図2に拡散反射測定装置DRS-8000の外観を,また図3にその光学系を示します。図3のミラーM3によって赤外光が試料に照射され,ミラーM4によって集められた拡散反射光がミラーM5,M6を経て検出器に到達します。粉体試料を充填する試料ホルダーはφ2mm,φ4mm(深さ1mm)の2種類があり,またアルミニウム製使い捨てサンプルカップ(φ6mm,深さ1.5mm)を用いることも可能です。

拡散反射測定装置DRS-8000
図2. 拡散反射測定装置DRS-8000の外観
DR-8000の光学系
図3. 拡散反射測定装置DRS-8000の光学系

4. 拡散反射スペクトルとクベルカ-ムンク変換

カフェイン粉末の拡散反射スペクトルを例としてクベルカ-ムンク変換(K-M変換)の効果を説明します。図4が拡散反射スペクトル,図5がクベルカ-ムンク変換後のスペクトルです。
拡散反射スペクトルでは弱い吸収帯が比較的明瞭に現れますが,K-M変換後,これらの吸収強度は減少しピーク間の相対強度は透過スペクトルの場合と類似した状態になります。
ここで,K-M変換後のグラフ縦軸はK-M関数で表され,変換前の吸光度(A)とは値も異なりますので,混同して取り扱うことがないように注意します。

カフェインの拡散反射スペクトル
図4. カフェインの拡散反射スペクトル
K-M変換後
図5. K-M変換後のカフェインの拡散反射スペクトル

5. 試料濃度の調整

確認試験などを目的として拡散反射法により粉体試料の赤外スペクトルを得る場合,ピークの飽和を避けるために,大部分の試料に対してKBrなどの希釈剤を用いて試料濃度を調整する必要があります。試料濃度は5重量%前後を調整開始時の目安としますが,実際には試料によって分子吸光係数が異なりますので,得られた反射率や吸光度を確認しながら濃度を調整します。一般に,スペクトルの最も強いピーク強度が反射率で10%(吸光度で1)程度になるように調整するのがよいとされています。ただし,拡散反射法の場合は 試料の表面反射の影響により反射率10%でもピークが飽和することがありますので,これよりもやや高めの反射率(低濃度)に調整したほうが適切です。例として濃度1,5,20,100重量%の乳糖を測定したスペクトルを図6に示します。
これに対して,複数の混合成分のうち低濃度成分に由来したピークを確認したい場合などには,意図的に試料濃度を高めに調整して測定することもあります。

乳糖各濃度の拡散反射スペクトル
図6. 各希釈濃度での乳糖の拡散反射スペクトル

6. 測定例

市販のロックウール製品2種の測定事例をご紹介します。ロックウールは鉱物などを高温で処理して繊維状にしたもので断熱材や防音剤として利用されています。ロックウール自体は無機化合物ですが,市販製品として外観形状を整えるために微量の成型樹脂が添加されているものがあります。この成型樹脂成分の市販製品間での違いを調べることを目的として,一回反射ATR法と拡散反射法により測定比較しました。
図7,8にそれぞれATR法,拡散反射法により得られた赤外スペクトルを示します。両測定法ともに試料は粉砕することなく繊維状のまま用いました。拡散反射法では試料ホルダに繊維を充填して測定に供し,装置付属のスリ面ミラーをリファレンスに用いました。

(ATR法)ロックウール製品の赤外スペクトル
図7. ATR法によるロックウール製品の赤外スペクトル

ATR法による赤外スペクトルでは,1200cm-1以下の領域で無機化合物に由来したブロードなピークが見られ,4000~1200cm-1間の微弱なピークが成型樹脂に由来したものと考えられますが,試料とATRプリズムの密着性が良くないために,これらのピーク強度は非常に小さいレベルにとどまっています。一方,拡散反射法による赤外スペクトルでは,4000~1300cm-1間のピークが比較的明瞭に現れ,また製品2種間の違いも明らかです。

(拡散反射法)ロックウール製品の赤外スペクトル
図8. 拡散反射法によるロックウール製品の赤外スペクトル

7. 加熱拡散反射測定

加熱チャンバーを搭載した拡散反射装置を用いることにより,試料部分を加熱しながら試料の化学変化や試料分子の状態変化を測定することができます。さらに減圧下や置換ガス雰囲気下などにおいての測定も可能です。加熱拡散反射装置によるシリカゲルの加熱脱水過程の測定事例をご紹介します。
図9にシリカゲルの表面モデルを示します。シリカゲルの表面にはシリコンと共有結合した水酸基(シラノール基)が存在します。このシラノール基は単独で存在する孤立自由シラノール基以外に,シラノール基間で水素結合が生じたものや,吸着水が付着した状態のものも存在します。

シリカゲルの表面モデル
図9. シリカゲルの表面モデル

シリカゲル粉末を室温(30℃)から800℃まで加熱した状態で測定した赤外スペクトルを図10に示します(30℃,100℃,以降100℃毎)。3740cm-1付近のピークが孤立自由シラノール基による吸収で,3700~3000cm-1のブロードなピークが吸着水や水素結合を持つものの吸収です。温度の上昇によって後者の吸収が減少していく様子が確認できます。
アプリケーションニュースA398では,このシリカゲルの他に,カオリン(アルミニウム珪酸塩),ABS樹脂(アクリロニトリル-ブタジエン-スチレン共重合体)についての加熱測定も紹介していますのでご参照ください。

シリカゲルの加熱拡散反射赤外スペクトル
図10. シリカゲルの加熱拡散反射赤外スペクトル
エス・ティ・ジャパン製 加熱真空拡散反射システム
図11. 試料加熱チャンバ

8. おわりに

以上で紹介いたしました測定の他にも,拡散反射法は近赤外領域の測定でよく用いられる手法で,本誌Vol.10にて詳しく紹介していますのでご参照ください。近赤外領域では試料の吸収が弱いため,拡散反射測定においてもKBr粉末による希釈などの前処理は必要なく近赤外スペクトルが測定できます。また,粉末試料をガラスやプラスチック製容器に入れたまま測定することも可能で,専用の付属装置が用意されています。