フーリエ変換形の赤外分光光度計で,サンプルを測定する前に,何気なく測定しているバックグラウンド測定ですが,これをあらかじめ確認することで,より良好なスペクトルを測定することができます。
まずは,IRSolutionソフトウェアを起動し,FTIR装置と接続した後,測定タブの「バックグラウンドの表示」(下図右上)にチェックを入れて,バックグラウンド測定を行なってみましょう。

IRSolution 測定画面
RSolution 測定画面

右下に示すスペクトルは,標準のパラメータで測定したパワースペクトルです。 パワースペクトルは,各波長における実際の信号強度分布を表示するために,このような名称で呼ばれています。 最終的に得られるサンプルの透過率スペクトルは,「サンプル測定」で得られたパワースペクトルを「バックグラウンド測定」で得られたパワースペクトルで割り算したものです。 信号強度の強い波数ほど,よりノイズの少ないデータが得られます。

「バックグラウンド測定」時のパワースペクトル 「バックグラウンド測定」時のパワースペクトル

パワースペクトルの形状から,測定領域やその領域上のノイズの多少を確認することができます。 右図のスペクトルを見ると,2000cm-1周辺の信号強度が大きく,それから両側に行くほど小さくなっていくことが分かります。 長波長側では,350cm-1でほぼゼロになりますから,これ以上長い波長(0-350cm-1)ではスペクトルが測定できないことが分かります。 短波長側では,次第に小さくなっていきますが,5200cm-1付近で一度低くなった後,5800cm-1付近で再び大きくなり,その後7800cm-1まで徐々に小さくなりますが,完全にはゼロになりません。
信号強度が大きな波長領域ほどS/Nが良くなるため,このパワースペクトルから2000cm-1付近が最大S/Nが得られ,400cm-1付近および5000cm-1よりも短波長のS/Nは低くなることが分かります。 また全体のパワースペクトル強度から,この条件では350-7800cm-1の領域でスペクトルが測定できることも確認できます。

このパワースペクトルの各波長での強度は,次のような要因により変化します。

IRPrestige-21の光学系の模式図 IRPrestige-21の光学系の模式図
  1. 光源の種類と輝度
  2. ビームスプリッタの材質
  3. 干渉計密閉ケース窓板
  4. 赤外検出器の種類と窓板
  5. アンプ内部のフィルタ
  6. 使用する付属品

それでは,個々の要因がスペクトルの強度にどのように影響するかを記載してみましょう。

(1)光源の種類と輝度

RPrestige-21やFTIR-8400Sでは,赤外光源に高輝度セラミック光源を使用しています。 光源点灯回路は,印加電力制御方式により,常時輝度が一定になるように制御されており,また,セラミックによりヒーター部が封入されているために長寿命で,光源表面温度をおよそ1200℃と高温で安定な輝度を保持しています。
すべての光を放射する物体を黒体と呼びますが,当該光源はほぼ黒体と考えられる放射スペクトル分布を持ちます。 このような光源を擬似黒体と呼びます。 この光源によるスペクトル分布は,プランクの輻射則やプランクの(輻射)公式と呼ばれる次の式により決定されます。

プランクの輻射公式

(2)ビームスプリッタの材質

中赤外領域の場合,ゲルマニウムがビームスプリッタとして使用されます。 しかし,ビームスプリッタの膜厚は数ミクロンと非常に薄いために赤外透過材料(臭化カリウムKBr)の上に蒸着して使用されます。
赤外透過材料は,それぞれの材質により,透過波長特性を持ちます。

(3)干渉計密閉ケース窓板

干渉計内部には,湿度が高くなると潮解(結晶が水分を吸収して膨張し壊れていく現象)が起こり,測定に支障を来たす部品があります。 日本のような高温多湿の気候では,FTIR装置に対しては,特にこの潮解に対して十分対策を取っておく必要があります。 FTIR-8400SおよびIRPrestige-21では,干渉計密閉ケースから赤外線を出射する窓板に耐湿性能に優れたKRS-5を採用し,装置の湿度に対して安定な構造になっています。 このKRS-5窓板は次のような特性を持ちます。

  透過波長領域 16600-250 cm-1
  透過率 70 %T

この窓板により,スペクトル強度が3割程度低下しますが,湿度に対する信頼性向上をより重要な課題と考えて,当該装置に採用しております。

(4)赤外検出器と窓板

標準の赤外検出器はDLATGS焦電素子を搭載しております。 このDLATGS素子は,Deuterated L-Alanine Triglycine Sulphate (重水素化L-アラニンドープトリグリシン硫酸結晶)の略で,素子温度により特性が変化するために温調をおこなって安定な感度特性を保持させています。
また,DLATGS素子は,潮解性を持つために,KRS-5窓板を取り付けて外気から遮断した構造を取っております。
DLATGS素子は,入力する赤外光の信号が早く変化すると,出力信号の強度が低くなる性質(周波数依存性)があります。 したがって,ミラースピードを通常の2.8mm/sからより早い9.0mm/sに変更すると,信号出力も低下し,パワースペクトル強度も1/3程度まで低下してしまいます。
一方,オプションで取り付け可能なMCT量子型検出器の場合,周波数依存性があまり大きくないために,9.0 mm/sに設定しても信号出力の低下もほとんどなく,高感度の検出器として赤外顕微鏡による測定や高速性が求められる時間変化測定のアプリケーションに使用されます。
しかしながら,MCT検出器は液体窒素による冷却が必要な上,カットオフ周波数を持つために,700cm-1付近で感度が低下し,それよりも長波長(低波数)側では感度はほぼゼロになります。

(5)アンプ内部のフィルタ

検出器から入力された赤外干渉信号を電気的に増幅する際の処理は重要です。 まず,低波数側(長波長側)の信号は,商用周波数(60Hzおよび50Hz)によるノイズを取り除くためにハイパスフィルターを,高波数側(短波長側)の信号は,サンプリング定理によるフォールディング(折り返し)を防ぐためにローパスフィルターを用いています。

(6)使用する付属品

また,使用する付属品により,測定領域が制限されます。 例えばATR法を用いた付属品を使用した場合,内蔵するプリズムの材質によりその測定領域が制限されます。
また,液体セルや,固定セル,ガスセルなどの赤外透過窓板を使用した付属品でも,それぞれの材質ごとに透過領域や透過率が異なりますので,あらかじめパワースペクトルを測定して,その強度分布を確認しておくと良いでしょう。

材質 波長領域 透過率(厚み)
ゲルマニウム(Ge) 5500 - 660 cm-1 50 %T(2mm)
セレン化亜鉛(ZnSe) 10000 - 500 cm-1 65 %T(1mm)
KRS-5(※) 16600 - 250 cm-1 70 %T(2mm)
臭化カリウム(KBr) 40000 - 340 cm-1 90 %T(5mm)
塩化ナトリウム(NaCl) 50000 - 600 cm-1 90 %T(5mm)
ダイヤモンド 40000 - 30 cm-1 70 %T(1mm)
塩化カリウム(KCl) 40000 - 500 cm-1 90 %T(10mm)

※ KRS-5は臭化タリウムとヨウ化タリウムの混晶です