vol.19 酸化チタンとジシアノメチレン化合物からなる 新規光エネルギー変換材料の赤外分光法による構造解析

執筆者紹介

vol.19 酸化チタンとジシアノメチレン化合物からなる 新規光エネルギー変換材料の赤外分光法による構造解析

藤沢 潤一 先生

東京大学先端科学技術研究センター 特任准教授 (ご所属・役職は2012年9月発行時)

1.はじめに
 太陽光エネルギーの有効利用は,エネルギー・環境問題の解決に向けた重要な課題である。現在,太陽光発電の大幅な普及拡大に向けて,すでに実用化されているシリコン太陽電池をはじめとする無機系p-n接合型太陽電池に加えて,低コスト化が可能でカラフル・フレキシブルといった特徴をもつ有機系太陽電池をはじめとする次世代太陽電池の研究開発が行われている。
 われわれは,最近,光触媒材料として用いられているワイドギャップ半導体である酸化チタン(TiO2)と有機超伝導体等の研究分野で電子アクセプター材料として用いられているジシアノメチレン化合物(TCNX)から新規光エネルギー変換材料が生成することを見出した1)。本物質は,図1に示すように,TiO2の表面水酸基が,TCNXのα位の炭素原子に直接σ結合することで,表面に化学結合しているTCNX部位からTiO2へ光励起で直接電子が移動する電荷移動遷移を可視から近赤外領域で強く示す新材料である1-3)。われわれは,この物質を光電極に用いて,光励起で直接電荷分離が起こる新型有機系太陽電池の研究開発を行っている1)。 本稿では,フーリエ変換型赤外分光(FT-IR)による本物質の構造解析について紹介する。

図1.(a)TCNQと(b)TiO2-TCNQ界面錯体の構造
図1.(a)TCNQと(b)TiO2-TCNQ界面錯体の構造
 

2.赤外分光法による新物質の構造解析
 島津社製FT-IR(IRPrestige-21)を用いて,この物質の構造解析を行った結果,TCNQ(図1(a))の溶液に浸漬したTiO2は,図2に示すように,2129, 2192, 2253 cm-1に,C≡N伸縮振動に起因するピークを示した。この振動構造を,フリーのTCNQのものと比較すると,図2に示すように,振動構造が大きく変化していることがわかった。この結果から,TCNQは化学吸着基をもたないにもかかわらず,TiO2表面に吸着し,その分子構造が大きく変化することが明らかになった。実は,この振動構造は,メトキシがTCNQのシアノ基が結合しているα位の炭素に求核付加したアニオン性のメトキシTCNQ付加体と類似の振動構造であることがわかった。このことから,図1(b)に示すように,TiO2の表面水酸基が,TCNQのα位の炭素に求核付加反応することで,表面水酸基の酸素原子がα位の炭素原子に直接σ結合し,その炭素原子の電子軌道がsp2からsp3混成軌道へと変化し,さらに,結合サイトとは反対側のジシアノメチレン基に負電荷をもつTCNQ付加体がTiO2表面で生成することが示された。

図2.TCNQ溶液に浸漬したTiO2粉末とTCNQのFT-IRスペクトル
図2.TCNQ溶液に浸漬したTiO2粉末とTCNQのFT-IRスペクトル
 

3.量子化学計算による振動解析
 この界面錯体の振動構造について,東京大学山下研究室と共同で,密度汎関数法(DFT)を用いて,理論的に解析を行った2,3)。まず,アナターゼ型のTiO2ナノクラスターTi9O18H-OHを構築し,次に,図3(a)に示すような表面水酸基の酸素原子がTCNQに求核付加したモデル化合物Ti9O18H-O-TCNQ-を構築した。IRスペクトルの計算の結果,図3(b)に示すように,4つのC≡N伸縮の固有振動モードが計算された。図3(b)の挿入図に示すように,2295.4cm-1と2291.5cm-1の高波数側の比較的強度の弱いC≡N振動は,それぞれ,TiO2ナノクラスターとの結合部位側のジシノアメチレン基の対称および反対称C≡N伸縮振動であり,一方,2276.3cm-1と2233.7cm-1の低波数側の強度の強い振動ピークは,結合部位とは反対側のジシノアメチレン基の対称と反対称C≡N伸縮振動であることがわかった。これらの4つの振動モードに,スペクトル幅(FWHM:8cm-1)を持たせることで,実験で観測された振動構造をほぼ再現することができた。また,計算された振動エネルギーは,実験値よりも若干高いが,DFT計算では,実測値よりも,約1.040倍高い値が得られることが報告されている4)。 実際,計算値を補正することで,実験値にほぼ近い振動エネルギーを再現できた。このように,FT-IRとDFT計算の結果を比較検討することで,TiO2-TCNQ界面錯体の構造と振動モードを解明することができた。この結果から,通常,有機分子がTiO2をはじめとする無機材料と化学吸着するためには,カルボン酸やリン酸といった化学吸着基が必要であるが,TCNXは,その強い電子受容性により,TiO2の表面水酸基がTCNQのπ共役系が広がっている炭素原子に直接化学結合し,構造と電荷が大きく変化した新物質がTiO2界面で生成することがわかった。

図3.(a)DFT計算で用いた界面錯体のモデル化合物と(b)IRスペクトルの計算結果  挿入図:C≡N伸縮振動モード
図3.(a)DFT計算で用いた界面錯体のモデル化合物と(b)IRスペクトルの計算結果
挿入図:C≡N伸縮振動モード
 

4.界面錯体の吸収特性
 TiO2とTCNQからなる界面錯体は,図4(a)に示すように,可視から近赤外領域に,TiO2のバンド間遷移やTCNQの分子内のπ-π*遷移による吸収帯とは全く異なるブロードな吸収帯を示すことがわかった。この吸収スペクトルについて時間依存DFT計算(TD-DFT)を用いて解析を行った結果,図4(b)に示すように,実験と同様に,可視から近赤外領域にブロードな吸収が発現することがわかった。このブロードな吸収は,図5に示すように,TiO2表面に化学結合しているTCNQ部位に局在している最高占有軌道(HOMO)から,TiO2ナノクラスター内部とTCNQとの結合部位に非局在した電子分布をもつ非占有軌道への界面電荷移動遷移であることが明らかになった2,3)

図4.(a)TiO2とTiO-TCNQ界面錯体の拡散反射スペクトルとTCNQの溶液中のスペクトル  (b)TiO2-TCNQ界面錯体の吸収スペクトルの計算結果
図4.(a)TiO2とTiO-TCNQ界面錯体の拡散反射スペクトルとTCNQの溶液中のスペクトル
(b)TiO2-TCNQ界面錯体の吸収スペクトルの計算結果
 
図5.界面錯体のHOMOとLUMOの電子分布
図5.界面錯体のHOMOとLUMOの電子分布
 

5. 界面錯体を用いた有機系太陽電池
 この有機・無機複合物質では,表面に化学結合しているTCNQ部位からTiO2伝導帯への界面電荷移動遷移という新しい電子遷移により,可視から近赤外域の幅広い波長領域の光を吸収することができ,さらに,この電子遷移により,TiO2へ直接電子が注入される。本研究では,この特徴に着目して,界面電荷移動遷移を動作原理にもつ有機系太陽電池の研究開発を行っている。実験の結果,この新しい動作原理により効率のよい光電変換が起こることが示された1)。 本稿では,光電変換特性については割愛するが,本太陽電池の特徴を簡単に述べる。色素増感太陽電池と有機薄膜太陽電池をはじめとする有機系太陽電池では,色素分子やポリマー分子の電子遷移により太陽光を吸収し,それらの励起状態から電子(正孔)輸送材料へ電子( 正孔)が移動する。この電荷分離過程では,界面において約0.3eV以上のエネルギーレベルオフセットが必要であり,エネルギー損失を伴う電荷分離機構である。一方,界面錯体型太陽電池では,酸化チタン伝導帯と表面に結合しているTCNX分子間の界面電荷移動遷移により直接電荷分離が起こるため,原理的に高効率光電変換に有望な動作原理である。

6. おわりに
 本稿では,TiO2とTCNX化合物から生成する新規光エネルギー変換材料の構造解析を中心に解説を行った。 FT-IR測定により,本物質の界面構造に関する非常に重要な知見が得られ,理論計算の結果と比較検討することで界面構造を解明することができた。また,このような無機材料に化学結合している有機分子の構造は,他の有機系太陽電池の研究開発においても重要であり,FT-IR法により,有機系太陽電池の基礎物性の理解がさらに進むことが期待される。

謝辞
 本稿で述べた実験は,東京大学先端科学技術研究センター瀬川研究室において行われたものであり,当研究室の瀬川浩司教授,久保貴哉特任教授,内田聡特任教授,中崎城太郎助教,当時修士課程の大学院生であった長谷俊之君(現,スリーボンド(株))に深く感謝致します。また,量子化学計算の結果は,東京大学化学システム工学の山下研究室の山下晃一教授と城野亮太研究員との共同研究の成果であり,ここに厚く御礼申し上げます。

参考文献

1) 久保貴哉,藤沢潤一,瀬川浩司,電気化学および工業物理化学, 2009,77,977-980.
2) Jono, R.; Fujisawa, J.; Segawa, H.; Yamashita, K. J. Phys. Chem. Letters 2011, 2, 1167-1170.
3) Manzhos, S.; Jono, R.; Yamashita, K.; Fujisawa, J.;Nagata, M; Segawa, H. J. Phys. Chem. C 2011, 115, 21487-21493.
4) Wong, M. W. Chem. Phys. Lett. 1996, 256, 391-399.

関連データ

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