vol.18 赤外およびラマン分光法による温度応答性高分子の相転移の解析

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vol.18 赤外およびラマン分光法による温度応答性高分子の相転移の解析

前田 寧 先生

福井大学大学院・工学研究科・生物応用化学専攻 教授 (ご所属・役職は2012年4月発行時)

1.はじめに
 ある種の高分子は低温では水に溶解するが,特定の温度(LCST)以上に加熱すると相分離して白濁し,冷却すると再び溶解して透明に戻るという可逆的な溶解挙動を示す(図1)。このような高分子は温度応答性高分子と呼ばれており,ポリ(N-置換(メタ)アクリルアミド),ポリ((メタ)アクリル酸エステル),ポリ(ビニルエーテル)などがある。これらの高分子は,タンパク質のモデル系として高分子の水和と構造転移の関係を解明するという基礎的な興味からも,インテリジェントマテリアルとしての応用面の興味からもさかんに研究されている。多くの解析法のなかで,分子振動をプローブとして用いる赤外およびラマン分光法は,非常に高い時間分解能 (例えばO-H伸縮振動の周期 ≒ 10-14s)と,分子を構成している個々の官能基のコンフォメーションや相互作用に対する高い感受性をあわせ持つ。このため水和のような動的平衡過程を直接的に解析するのに適した方法である。本稿では,赤外・ラマン分光法による研究で明らかになったことを中心に,種々の温度応答性高分子の水和と相転移の特性について解説したい。

図1 温度応答性高分子水溶液の相分離挙動とコイル—グロビュール転移の概念図
図1 温度応答性高分子水溶液の相分離挙動とコイル—グロビュール転移の概念図
 

2.赤外分光法による相転移の解析
 はじめに,最もよく研究されている温度応答性高分子であるポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)(PNiPAm)を例に取り,高分子水溶液の相分離挙動の概要を述べる1)。巨視的な相分離現象は,コイル-グロビュール転移と呼ばれる高分子鎖の膨張-収縮過程を伴う(図1)。すなわち,LCST以下の温度ではアミド基と水との間の強い相互作用のために高分子鎖はランダムコイル状の広がったコンフォメーションをとるが,LCST以上の温度では脱水和が起ると同時に高分子鎖が収縮してグロビュール状態になる。さらにグロビュール同士が疎水性相互作用により会合すると微粒子が形成され,その粒径が可視光の波長程度になると光が散乱されるために溶液が白濁する。
 赤外分光法を用いればこの過程における高分子の水和状態の変化を直接的に観測できるのであるが,問題になるのは非常に強い水の吸収である。この問題は,光路長を短くすることと,同位体効果により吸収波数が異なるH2OとD2Oを使い分けて試料の注目する赤外バンドとの重なりを避けることで回避できる。水に溶解せず,1000cm-1から可視,紫外の領域まで透明であるフッ化カルシウムが窓材としてよく用いられる。我々の研究室では窓板2枚で,10μmのスペーサーと高分子溶液を挟み,循環恒温槽につないだジャケットにセットして,定速で温度を変えながら連続的に赤外スペクトルと温度を記録している(図2)。

図2 FT-IRおよび顕微ラマン分光光度計による温度応答性高分子溶液の測定の概念図
図2 FT-IRおよび顕微ラマン分光光度計による温度応答性高分子溶液の測定の概念図
 

 図3aにD2O中で測定したPNiPAmの赤外スペクトルを示す。PNiPAmの主要な赤外バンドはC-H伸縮振動(ν(C-H))バンド(2850-3000 cm-1),アミド基のC=O伸縮振動に帰属されるアミドIバンド,N-H変角振動に帰属されるアミドIIバンド,およびC-H変角振動(δ(C-H))バンド(1100-1500cm-1)である。ここでは水の変角振動バンドとアミドIバンドとの重なりを避けるためにD2Oを溶媒として用いているので,アミド基の水素が重水素に置換されて-COND-基の振動に対応するアミドI, IIバンドがそれぞれ1625 cm-1と1467cm-1に観測される。図3bには相分離に誘導されるPNiPAmの赤外差スペクトルを示す。このスペクトルは,Tp以上の温度である40℃で測定したスペクトルからTp以下の25℃で測定したスペクトルを差し引いて得た。差スペクトルでは,二つの状態で変化が生じた部分のみが選択的に観察されるため,微小なスペクトル変化を検出しやすい。差スペクトルにおいて,各振動モードに対して正側と負側に一対で現れるピークの相対的な位置により,対応する赤外バンドのシフトの向きを知ることができる。相分離に伴いν(C-H), δ(C-H),アミドIIバンドは低波数シフト,アミドIバンドは高波数シフトしている。各バンドのシフトは,対応する官能基の水和状態や相互作用の変化で説明できる。例えば,C=O…H-X水素結合の強度が下がるとC=O結合上の電子密度が上がるとともに結合長が短くなりamide Iバンドは高波数シフトする。

図3 D2O中のPNiPAmの(a) 赤外吸収スペクトルと(b) 赤外差スペクトル
図3 D2O中のPNiPAmの(a) 赤外吸収スペクトルと(b) 赤外差スペクトル
 

 ピーク分離法を用いてPNiPAmアミドIバンドの温度変化をさらに詳しく解析すると、Tp以下の温度では1625 cm-1に中心を持つ一つの成分からなるが,Tp以上では1625cm-1と1650 cm-1に中心を持つ二成分からなることが分かる(図4a)。一方,アミドN-H基を持たないポリ(N,N-ジエチルアクリルアミド)(PdEA)では,温度によらず三成分からなる(図4b)2)。これらのサブバンドを帰属して実験結果を解釈するためには量子化学計算に基づく振動解析が有用である。Gaussianなどの市販のソフトを用いれば,さまざまな分子の基準振動の振動数を計算できるうえ,各原子の動きを可視化できる。また,水和物や分子複合体について計算を行えば水素結合などの相互作用が分子振動に及ぼす効果を知ることもできる。実際にPNiPAmとPdEAのモデルについて計算を行ったところ,低波数側から2,1,0個の水素結合を作っているC=Oに帰属できることが分かった。したがって,グロビュール状態ではアミド基C=Oの一部が脱水和され水素結合数が減少するが,大部分は依然として水素結合していることになる。

図4 カーブフィット法による(a)PNiPAmと(b)PdEAのamide Iバンドの分離と帰属
図4 カーブフィット法による(a)PNiPAmと(b)PdEAのamide Iバンドの分離と帰属
 

 また,一般にアルキル基が水と相互作用するとν(C-H)バンドは高波数シフトする。これは,O-H…OH2のような通常のX-H…Y型の水素結合においてX-H伸縮振動が低波数シフトするのとは対照的であり,blue shifting H-bondとも呼ばれている。相分離後のν(C-H)およびδ(C-H)バンドの位置が,固体状態のポリマーを用いて測定した場合の位置とほぼ等しいことから,グロビュール状態ではアルキル基の大部分は脱水和されていることが分かる。

3.ラマン分光法による相転移の解析
 ラマン分光法は赤外分光法と同様に,分子振動に関する情報が得られる測定法である。しかし,実際に観測するのは主として可視光の領域の光であるので,窓材としてガラスを使うことができるし,普通の光学顕微鏡と組み合わせた顕微測定が可能である(図2)。また,共焦点顕微光学系と組み合わせれば励起光に対して垂直な方向にも,水平な方向にも1μm程度の空間分解能で測定することも可能である。共焦点顕微レーザーラマン分光光度計を用いて相分離状態のPNiPAm/水系を観察するとドメイン部分にポリマーのν(C-H)バンドが強く見られ,ポリマー濃厚相であることが分かる(図5)3)。特定の位置でラマンスペクトルの温度変化を測定すれば,相分離の過程でのポリマー濃度の変化を追跡できる。 PNiPAmではTp以上の狭い温度範囲で急激に濃度変化が起こるが,ポリ(N,N-ジエチルアクリルアミド)(PdEA)では広い温度範囲で徐々にポリマー濃度が変化する。

図5 顕微ラマン分光法による相分離構造の解析
図5 顕微ラマン分光法による相分離構造の解析
 

4.添加物の効果の解析
 温度応答性高分子の相転移温度はイオンや有機物の添加により変化する。塩化ナトリウムなどの塩を加えた場合には転移温度は変化するが高分子の赤外スペクトルは変化しない。これは高分子とイオンが直接相互作用するのではなく,イオンと水との相互作用が高分子の水和,引いては転移温度が変化させていることを示唆する。一方,アルコールはポリマーと相互作用するため,顕著なスペクトル変化を引き起こす(図6)。例えば,アルコールのOH基はアミドC=Oと水素結合するため,アミドIバンドには高波数側成分が増大するという変化が観察される4)。C=O…H-O-H水素結合とC=O…H-O-CH3水素結合の強度は同程度であり,両者のアミドIバンドの位置はほぼ等しいことから,この変化は水素結合数が変化することを意味する。ピーク分離により解析すると二水素結合成分が減少し,一水素結合および無水素結合成分が増加していることが分かる(図7)。これは系中のO-H基の数の減少とアルコールのアルキル基間の立体障害のためである。また,アルキル基の溶媒和の状態を調べるためにν(C-H)バンドの変化を解析すると,メタノール濃度の上昇にともなうν(C-H)バンドの低波数シフトが見られる。このことは,有機溶媒の疎水部が水に換わってポリマーのアルキル基と相互作用していることを示唆する。概ね有機溶媒の添加の効果には,(1)アミド基と水素結合していた水が有機溶媒に置換されることによる系の不安定化(Tpの低下)と,(2)アルキル基と有機溶媒の相互作用による系の安定化(Tpの上昇),があり,両者のバランスでTpが決まっていると言える。

図6 MeOH-d4/D2O中のpoly(N-tetrahydrofurfuryl  methacrylamide)のIRスペクトル
図6 MeOH-d4/D2O中のpoly(N-tetrahydrofurfuryl methacrylamide)のIRスペクトル
 
 
図7 MeOH-d4/D2O中のpoly(N-tetrahydrofurfuryl  methacrylamide) のアミドIバンド
図7 MeOH-d4/D2O中のpoly(N-tetrahydrofurfuryl methacrylamide) のアミドIバンド
 

 ポリマー/水/有機溶媒混合液において相分離後に有機溶媒がどのように分布しているかは興味深い問題であるが,顕微ラマン測定によりそれを知ることができる。図8aにポリビニルメチルエーテル(PVME)/H2O/2-propanold8)混合液のラマンスペクトルを示す5)。ここで重水素化2-プロパノールを用いるのは,同位体シフトを利用してポリマーとプロパノールのアルキル基のラマンバンドが重なるのを回避するためである。O-H伸縮,C-H伸縮,C-D伸縮バンドの強度から,それぞれH2O,PVME,2-propanol-d8の濃度を見積もることができる。図8b,cにポリマー濃厚相におけるポリマーと2-propanol-d8の濃度の温度変化を示す。34℃付近で相分離が起り,温度の上昇にともなって濃厚相でポリマー濃度が上昇すると同時に2-propanol-d8も水に対して濃縮されていることが分かる。メタノールは濃厚相と希薄相にほぼ均等に分配される。このことは,疎水性の高いアルコールほどポリマー濃厚相に濃縮されやすいことを示している。この手法を用いれば薬剤等の放出過程をリアルタイムで測定することもできる。

図8 顕微ラマン分光法によるPVME/H2O/  2-propanol-d8系の相分離の解析
図8 顕微ラマン分光法によるPVME/H2O/2-propanol-d8系の相分離の解析
 

5. 共重合体の転移挙動の解析
 AとBの2種類のモノマーからなる共重合ポリマーは,モノマーの配置によりランダム共重合体やブロック共重合体などに分類される。Aに温度応答性モノマー,BにpHや光,電位などに応答するモノマーを用いれば異なる刺激に応答する多重刺激応答性高分子を作ることができる。また,A,Bに異なる温度応答性モノマーを用いれば二重温度応答性高分子が得られる。ここではLCST(低温溶解-高温不溶)とUCST(低温不溶-高温溶解)を示すブロック共重合体のミセル化の解析にFT-IRを利用した例を紹介する6)。LCST(31℃)を示すPdEAとUCST(21℃)を示すPdMMAEAPSからなるブロック共重合体(PdEA-b-PdMMAEAPS) は,UCST以下の温度ではPdMMAEAPSをコアとするミセルを形成し,UCSTとLCSTの間で均一に溶解したユニマーとなり,LCST以上でPdEAをコアとする逆ミセルを形成する。図9にPdMMAEAPS-b-PdEAのIRスペクトルとUCST前後とLCST前後でのIR差スペクトル,PdMMAEAPS のν(C=O)ester,ν(S=O)バンドとPdEAのamide Iバンドの吸光度の温度変化(ΔΔA)を示す。それぞれ,UCSTとLCST付近で急激に変化していることから,各ブロックの水和状態が各転移で独立して変化していることが分かる。

図9 PdMMAEAPS-b-PdEAのミセル‐逆ミセル転移の解析
図9 PdMMAEAPS-b-PdEAのミセル‐逆ミセル転移の解析
 

6.温度応答性ミクロゲルの相転移の解析
 架橋剤を加えて網目構造にした温度応答性ヒドロゲルは,LCSTに相当する温度で水を放出して体積が減少する体積相転移を示す。乳化重合で得られる直径が数100 nmのゲル微粒子も同様な体積相転移を起こす。さらに,異なる温度応答性モノマーを層状に分布させたコア-シェル型のミクロゲルでは,温度変化に伴ってコアとシェルの相転移による2段階の粒径変化を示す。コアがポリプロピレングリコールのマクロモノマーであるpoly(propylene glycol)acrylate(PPGac),シェルがNiPAmのゲルであるコアシェル型温度応答性ミクロゲルの特性を図10に示す。温度の上昇に伴い,10℃付近と33℃付近の二段階で粒径と濁度が変化し,DSC曲線も二つの吸熱ピークを持つ。赤外スペクトルでは,コアのPPGacのエステルおよびエーテルバンドとシェルのNiPAmのアミドIおよびアミドIIバンドが,それぞれのモノマーユニットに特異な吸収帯である。それぞれのバンドの強度と位置の温度変化を解析することにより低温側の転移はPPGacの脱水和,高温側の転移はNiPAmの脱水和に起因することがわかる。

図10 コア‐シェルミクロゲルの2段階体積相転移の解析
図10 コア‐シェルミクロゲルの2段階体積相転移の解析
 

7. おわりに
 ここで述べた各種の温度応答性高分子は,様々なスマートマテリアルへの応用が期待されている。温度応答性ゲルや高分子ミセルは内包した薬剤を温度上昇により放出するドラッグデリバリシステムに応用できる。ポリマーが凝集沈殿する性質を利用して水中の有用物質の分離や,有害物質の除去を行うシステムも考えられる。グラフト重合で表面を修飾することにより,撥水性や細胞やタンパク質の接着性といった表面物性を温度コントロールする試みもなされている。本稿では,赤外・ラマン分光法による水和の解析という観点から話を進めてきた。ここで紹介したことが,他の系の解析の参考になることを望む。

参考文献

[1] Maeda, Y.; Higuchi, T.; Ikeda I. Langmuir2000, 16, 7503-7509.
[2] Maeda, Y.; Nakamura, T.; Ikeda I. Macromolecules2002,35, 10172-10177.
[3] Maeda, Y.; Yamamoto, H.; Ikeda I. Macromolecules2003,35, 5055-5057.
[4] Maeda, Y.; Takaku, S. J. Phys. Chem. B2010, 114, 13110-13115.
[5] Maeda, Y.; Yamamoto, H.; Ikeda I. Langmuir2004, 207339-7341.
[6] Maeda, Y.; Mochiduki, H.; Ikeda I. Macromol. Rapid Commun.2004, 25, 1330-1334.

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