執筆者紹介

vol.61 「薬の研究開発の今日この頃」

工藤 忍 先生

グラクソ・スミスクライン株式会社 開発本部バイオアナリシス部 部長 (ご所属・役職は2006年4月発行時)

ヒトゲノムの全配列が解析され日々解読が進む中,薬の研究開発は Pharmacogenetics や Pharmacogenomics (PGx) を効果的用いて進められています。 PGxの進展で遺伝子と関連付けた疾患の理解が深まりました。 病気が遺伝子的に理解されれば,疾患の原因となる分子や組織,臓器の機能を特定して目標が見つけ易くなります。 以前には500程度しか特定できていなかった病気に関連する標的遺伝子が,この数年で約10倍に増えています。 目標が特定できれば,効果的に作用する物質を見つけ出す確率や薬としてのデザイン精度も高まります。 薬が効果を現わした時にからだが示す指標も理解され,薬効の証拠も得易くなります。 また,顔つきや体格の様に,遺伝子配列の個性によって,薬に対してよい反応を示すヒト,過剰に反応してしまう,あるいは目的とする効果よりも他の作用を及ぼしてしまう可能性の高いヒトなどを予測して臨床試験が出来れば,小規模で安全に薬の開発を進めることが可能になります。 臨床効果を正しく評価し損ねる危険性も小さくできます。 同じ病気と診断されても同じ原因ではない可能性も遺伝子レベルからは分かって来ています。ですから,全ての患者さんに効果を示す薬の開発が理想なのかも知れませんが,現状では “The right medicine for the right patient at the right dose” を目指した研究開発が安全で効果の高い薬を適切な患者さんに一日でも早く届ける方法のひとつであると考えています。 こうして開発されたひとつの疾患に対して作用の異なる数種の薬から,疾患のエビデンスと個人の薬に対する反応のエビデンスに基づいて的確に選択し適切に処方される “personalized medication” が実現して行くのだと期待しています。

このように,製薬企業ではPGxを駆使して疾患の原因を明確にして創薬し,薬の安全性や薬効を高い精度で予測して効率良く開発する努力がされてきています。 しかし,ヒトに使う薬であるためヒトで無ければ分からないことが治療効果以外にもたくさんあります。 例えば,安全性や薬効にも関係する,からだに取り込まれる薬の量,全身を駆け巡る血液中の濃度推移,目的とする/しない組織・臓器などへの分布や,代謝によって変化したり体の中から排泄される様子はヒトで調べなければ開発は進みません。 欧米では臨床試験の安全で迅速な実施の為に,推定される治療の投与量より極めて低い量(通常数μgから100μgを超えない範囲)で,早期にヒトへの投与を開始し,薬の濃度分布や薬物動態を安全性と共に明らかにする ”Single microdose” や ”Exploratory investigational new drug” 試験の考え方が法の整備と共に進み実施され始めています。

こうしたチャレンジは無謀な賭けであってはなりません。 それには事実の把握 (Fact finding) が欠かせません。 上記しました様に,近年では PGx が疾患と薬物反応に関する Fact finding の基盤になっています。 Fact finding には計測と解析が重要です。正しい計測と解析の基幹は正しい分析です。 分析にかかる時間を可能な限り短縮する必要もあります。 最新のDNAシーケンサーでは400-500万塩基を1時間程度で判読できるようになり,疾患に関連する遺伝子の解読や遺伝子の個性である SNP mapping が素晴らしい速度で進められています。 薬物動態試験では PET や accelerator mass spectrometry を積極的に使い始め,ヒトでの早期検証に大変役立っています。 LC-MS(/MS)も定量分析に日常的に使用される主要機器として定着し既に十数年経ち,感度や操作性は飛躍的に良くなりました。 HPLC分離とイオン化などに関する応用面でのノウハウも蓄積されています。 分析機器の発展と様々な人々の努力によってもたらされた研究成果の恩恵を強く感じます。 ただ,それらを駆使して未知へチャレンジして行くヒト一人一人は加速度的に変化して行く社会や文化,科学を理解・把握し,制御できる程進化しているのだろうか? また,次のヒト達のためのチャレンジをモラル高く推進して行くに足りる程成長しているのだろうか? 自分を振り返ると何となくシンミリしてしまう今日この頃です。

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