赤外分光法には様々な測定法があり,測定対象(サンプル)や分析目的等に合わせて使い分けることが出来ます。膜厚 1μm以下の薄膜試料の測定には,高感度反射法が広く使われていますが,最近では1回反射ATR法も利用されています。ここでは,高感度反射法と 1回反射ATR法を用いた薄膜試料の測定例や注意点についてご紹介します。

1. 金属上薄膜の測定

金属基板上薄膜の測定には高感度反射法が適しています。高感度反射法は入射角 70°以上の外部反射(正反射)法で,金属基板に対し垂直な方向に振動するピークが増強されます。これにより,入射角 10°前後の正反射法では測定できない薄膜のスペクトルを測定することが出来る方法です。

図 1は金メッキ上フィブリノーゲン単分子膜の高感度反射スペクトルです。入射角 80°にて測定しました。フィブリノーゲンは分子量約 34万,直径 9nm,長さ 45nmの棒状分子で,血液中に含まれる水溶性タンパクです。1666,1545cm-1付近のアミドI,アミドIIや3312cm-1付近のN-H伸縮振動などがはっきりと確認できます。

金メッキ上フィブリノーゲン薄膜の高感度反射スペクトル
図 1 金メッキ上フィブリノーゲン薄膜
の高感度反射スペクトル

図2は金メッキ上にハイドロキシアパタイト(厚さ約 10nm)とフィブリノーゲン単分子膜を積層(金/ハイドロキシアパタイト/フィブリノーゲン)した試料の高感度反射スペクトルです。1100cm-1付 近のハイドロキシアパタイトのピークとフィブリノーゲンのピークが明瞭に現われています。この試料の測定では,試料に照射された赤外光はフィブリノーゲ ン表面やフィブリノーゲンとハイドロキシアパタイトとの界面でも反射します。しかし,金からの反射光に比べるとその量はきわめて小さいため,得られたス ペクトルはフィブリノーゲン層とハイドロキシアパタイト層を透過し金表面で反射した光によるスペクトルと考えることができます。図 1,2に示したスペクトルの測定条件を表1に示します。

表1 測定条件1

付属品 VeeMAX
入射角 80°
分解 4cm -1
積算回数 400回
検出器 MCT
金メッキ上にハイドロキシアパタイト,フィブリノーゲン積層薄膜の高感度反射スペクトル
図 2 金メッキ上にハイドロキシアパタイト,
フィブリノーゲン積層薄膜の高感度反射スペクトル

2. 高感度反射法の注意点

 

  • 高感度反射法は入射角が大きいので,試料表面で光束が大きく広がります(図3参照)。 測定試料が光束よりも小さい場合はマスクを用い,試料以外からの反射光を除去します。入射角度は大きいほど高感度化が期待できますが,同時に光束はより 一層大きく広がるので検出器に向かう光は減少します。検出される光量が減少するとノイズが増加します。このため高感度反射法では,試料,分析目的など に合った入射角度の選択が不可欠です。なお,入射角度が大きく光量が少ない測定の場合はMCT検出器が有効です。

 

高感度反射法における光束の広がり
図3 高感度反射法における光束の広がり
(D/Rは平行光束とみなして計算)

 

  • 測定試料が光束よりも小さい場合に用いるマスクの表面は反射率の低い黒い塗料でコーティングされています。しかしその反射率はゼロではないため,高感度 測定の際などにマスク表面からの反射光の影響を受けることがあります。この影響はマスク表面に煤(すす)を付けて反射率をゼロにすることで除去出来ま す。煤(すす)付けにはロウソクなどがよく用いられます。
  • 高感度反射法ではしばしばグリッド偏光子が併用されます。これは上記「金属基板に対し垂直な方向に振動するピークの増強」に寄与するのは平行偏光のみで あり,無関係な垂直偏光をカットすることで見かけ上ピーク強度が増加するからです。しかし,グリッド偏光子を用いることで光量が半分以下に減少するため ノイズも増加します。高感度反射測定では必ずグリッド偏光子を使わなければならないというわけではありません。

(高感度反射法の詳細については,「FTIRの基礎-高感度反射法のイロハ」などをご参照ください。)

 

3. 非金属基板上薄膜の測定

高感度反射法は金属基板上薄膜の測定には大変有効ですが,ガラスやシリコンウェハ,プラスチックなど,金属以外の基板上薄膜には不向きです。

図4は鏡面研磨したハイドロキシアパタイト焼結板上フィブリノーゲン単分子膜の高感度反射スペクトルです。図4の挿入図は1900〜1300cm-1付 近の拡大図です。ハイドロキシアパタイトの反射率は金属よりも低いため,「平行偏光による基板に対し垂直な方向に振動するピークの増強」は見られませ ん。更にフィブリノーゲン膜表面からの反射による影響によりアミドI,II ピークが正負逆転しています。1250〜1000cm-1付近にピーク状のものが見られますが,これらはハイドロキシアパタイトの反射スペクトルの残差です。

ハイドロキシアパタイト上フィブリノーゲン薄膜の高感度反射スペクトル
図4 ハイドロキシアパタイト上フィブリノーゲン薄膜の
高感度反射スペクトル

図5は同じ試料を1回反射ATR法で測定したATRスペクトルです。プリズムはGeを用いました。1084,1016,962cm-1付近のピークはハイドロキシアパタイトによるピークです。図5の挿入図は1900〜1300cm-1付近の拡大図です。高感度反射法では逆転したアミドI,IIのピークが正常に得られていることがわかります。

ハイドロキシアパタイト上フィブリノーゲン薄膜のATRスペクトル
図 5 ハイドロキシアパタイト上フィブリノーゲン薄膜の
ATRスペクトル

図6はITO(Indium Tin Oxide)膜上N,N'-ジ(1-ナフチル)-N,N'-ジフェニルベンジジン(以下,NPD)薄膜を1回反射ATR法(Geプリズム)にて測定した ATRスペクトルです(ITOとの差スペクトル処理後)。NPDは有機ELの正孔輸送層用材料として知られている物質で,今回測定したNPD薄膜の膜厚 は1nmと10nmです。厚さ1nmでも良好なスペクトルが得られています。

図5,6に示したスペクトルの測定条件を表2に示します。

表2 測定条件2

付属品 MIRacle
プリズム Ge
分解 4cm -1
積算回数 100回
検出器 DLATGS
ITO上NPD薄膜のATRスペクトル
図 6 ITO上NPD薄膜のATRスペクトル
(上:10nm,下:1nm)

4. 1回反射ATR法による薄膜測定の注意点

 

  • ATR法はプリズムに試料を密着させて測定する方法で,スペクトルはこの密着具合による影響を受けます。特に薄膜測定においては密着が悪いとスペクトル がまったく得られなくなってしまうこともあります。このため,試料表面,プリズム表面ともに汚れや付着物のない状態で測定する必要があります。また, 基板表面が粗面の場合は密着が悪くなるため良好な結果が得られないことも考えられます。

  • 原理的には,1回反射ATR法よりも多重反射ATR法の方が反射回数の多い分ピーク強度が強く,より感度の良い結果が得られるはずです。しかし実際に は,1回反射ATR法で得られたピークが多重反射ATR法では得られないということも珍しくありません。これは多重反射ATR法のプリズムは大きいの で,試料表面の微小な付着物や汚れにより隙間が出来やすく良好な密着が得にくいためです。1回反射ATRではプリズムが小さく,試料表面に汚れがあって もそれを避けて密着させることが出来ます。

 

5. まとめ

今回は薄膜試料の測定方法として高感度反射法と1回反射ATR法をご紹介しました。高感度反射法は金属基板以外には不向きですが,金属基板上薄膜を簡便 かつ非接触で測定できます。一方,1回反射ATR法は試料とプリズムとの接触が不可欠ですが,金属以外の基板上薄膜の測定に大変有効です。

なお,今回ご紹介した測定例のうち,図1〜5の測定試料は独立行政法人 物質材料研究機構 生体材料研究センター生駒様,紋川様よりご提供いただきました。また,図6の測定試料は山形大学工学部 城戸研究室,財団法人 光産業技術振興協会 山形研究所井出様よりご提供いただきました。