vol.76 毛髪分析の有用性と可能性

talkのご執筆
富岡利正教授

2010年4月発行
豊岡 利正 教授

静岡県立大学薬学部


(ご所属・役職は2010年4月発行時)

頭髪には,ケラチン蛋白や黒毛の成分であるメラニン等が含まれていることは良く知られているが,それら以外にも,アミノ酸等の生体分子も確認されている。古くから毛髪は,体内の水銀量を知る目安として利用されている。また,ヒ素カレー事件やアセトアミノフェン事件のような犯罪の立証にも応用されているが,最も有名なのは,芸能人の薬物汚染等マスコミ上で話題になっている麻薬,覚醒剤,大麻等の違法薬物の使用証明であろう。毛髪の成長スピードは,一カ月あたり10~12 mm程度と安定しており,毛髪内で移動,分解,反応が起こり難く,長さにもよるが,数カ月~2年と比較的長期間の情報を保持しているため,確実な証拠となる。しかし毛髪には,これらの違法薬物のみならず医薬品を含めた多くの化学物質が取り込まれることが明らかとなり,分析試料としての毛髪の有用性が注目されるようになってきている。

従来,医薬品等生体機能性分子の測定には,血液や尿が用いられている。しかし,これらの試料のうち,血液の採取は看護師等の資格を持った医療従事者のみしか行えず,だれでも容易に採取できない。また液体試料であるこれらの取扱いや保存には,測定結果の信頼性確保のため細心の注意を要する。これに対して,毛髪の採取は比較的容易で,持ち運びや保存が簡単であるうえ,血液や尿に比べて衛生的である。また,血液や尿よりも夾雑成分が少ないため,多くの場合,煩雑な前処理を必要としない。更に,先にも述べたように毛髪中に取り込まれた化合物は短期間では変化しないため,必要な時に再検査することができる等の利点も多い。

毛髪分析にはGC-MS法が広く用いられてきている。これまで,生体機能性分子等の不揮発性化合物の分析に対しては,十分利用されてこなかったが,最近のLC-MS装置の急速な発展と進歩,データの再現性や検出感度の向上により,医薬品等生体機能性分子の毛髪分析が行われるようになってきている。著者らの研究においても,ベンゾジアゼピン系向精神薬の投与により,親化合物とそれらの代謝物が,また,内在性のポリアミン類やヒスタミンと代謝物も毛髪より検出されている。更に,毛髪中の代謝物等の網羅的測定に基づくプロファイリング解析から,高血圧や老化に関連するマーカー分子が確認されている。

しかし,毛髪分析に対するこれまでのほとんどの研究は,違法薬物を毛幹部から検出したものであり,毛根部を試料とした報告例は少ない。これはひとえに,薬物の毛髪への移行は極めてゆっくりであると考えられていたからである。しかし,ラットの血漿中及び毛根中における投与薬物および代謝物の経時変化の解析から,薬物投与後,数十分程度で毛根から親化合物とその代謝物が検出され,代謝物の種類も血中のそれと同じであった。また濃度レベルは異なるものの,経過時間に対する濃度曲線は,血中濃度と良く相関していた。一方,ある薬物では,血中と毛根中での経時変化パターンや代謝物が異なっており,毛根分析による結果を,血中分析の結果と関連させることが難しい例も見られた。しかし,血液や尿の分析と毛根(毛幹部も含む)分析を併用することにより,血液や尿を試料とした場合では検出困難な代謝物を確認できる可能性もある。いずれにしても,血中の薬物が速やかに毛根に達することが実証され,急性中毒検査への応用や薬物動態研究等へ利用できる可能性が示された。

以上述べてきたように,毛髪(毛幹部,毛根部)への移行性は化合物の種類(化学構造)に依存すると考えられ,化合物別に詳細な検討が必要となろうが,毛髪分析は,急性・慢性中毒検査への応用はもとより,医薬品のPharmacokineticsやToxicokineticsの解析,短期・長期の薬物モニタリング,内因性化合物の分析による代謝異常症の検出や各種疾病の診断,メタボロミクス研究による代謝物の網羅的解析や各種のバイオマーカー探索等々,様々な研究に応用が可能と考えられる。

現時点では毛髪には,どのような種類の化合物が,どの程度の濃度で含まれているのか,十分に把握されておらず,この分野への多くの研究者の参画が望まれる。また含量が超微量であるため,GC-MSやLC-MSの更なる分離の高効率化および感度の向上と精度が求められよう。

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