執筆者紹介

vol.49 「"楽をしたい"と思えば"楽しい"」

浅川 直樹 先生

エーザイ株式会社 製薬技術統括部長 (ご所属・役職は2003年1月発行時)

 医薬品開発における分析は,探索段階から開発段階,臨床段階に至るまでの広範な研究分野で,モノの評価,モノ造りでの評価および生体における評価など,多面的かつ多角的な評価ツールとして研究活動を根底から支えていると解釈している。 この観点からすれば,“研究の質”は,その土台である“分析の質”に依存し,“分析の質”は研究開発力のバロメーターに他ならないと独善的な思いを馳せている一人でもある。 一方,昨今の製薬企業における開発競争はスピードとの戦いであり,迅速・簡便・正確さを伴う分析のスピードは研究活動そのものを加速させるため,分析のスピードの確保は開発競争の生命線であると信じている。 そもそもスピードは 時間をコントロールするだけに 人類にとって普遍的な価値を持つ。 スピードへの魅力はいつまでも色褪せないし,スピードを永遠に追求し続ける理由は ここにあると思う。 一日は24時間という限られた時間を,有意義な時間にしたいと願うのは人の常であり,時間の束縛による義務感は “苦痛”を産む反面,時間を自由にコントロールし,自由な発想で思いのままに身を置くことが出来るのは 一種の精神的な“楽”を意味していると思える。 従って,“楽をしたい” という人間の身勝手な本能は,実は時間をコントロールするスピードを求めていると同じであるとの解釈もできる。 ここで必要なのは,“楽をしたい”という人間の本能に 素直に従う姿勢で研究(仕事)に臨むことであり,これには大きな意義があると思える。

 身の回りの研究活動を観ても,結構煩雑な操作(作業)に埋もれ,手間と時間を要する実験業務は多い。この現実の煩わしさから少しでも逃れ,この“楽をしたい”という強い思いは,スピードを獲得できる新たなアイディアを生み出し,新たな技術を発掘させる原動力になると思えてならないし,事実,科学の進歩も身勝手な人類の“楽をしたい”思いが支えてきた部分も大きいと思える。 この思いに駈られ,私どもはここ数年,生意気にも“楽をしたい”ことをモットーに色々な分析手段を模索してきた。 その一端を紹介したい。

 私自身,分析関連の業務に長年関わってきた中で,とりわけ現在医薬品開発に不可欠な分離分析手法として,多くの研究分野で活用されているHPLCの簡便性の拡大に夢を馳せてきた一人でもある。しかし,現状での研究現場には,まだまだ“楽が出来そうな”多くの業務が目に映ってくる。 その発端となったのが,近年の医薬品開発におけるレギュレーションであった。 医薬品としての品質確保は極めて重要であり,そのために分析業務の量と質が要求されてきている。 特に,医薬品の不純物・分解物などの管理には多くの時間を割かねば成らないのが現状である。 これを“楽をしたい”思いで,NMR,MSとの連結を可能とした新たなHPLCシステムの構築により,不純物の構造情報に基づいた原薬・製剤の製造プロセス構築に貢献した経験は意義深いものがあった。 現在では,この装置が色々な研究分野で活用されつつあり,簡便な構造解析手法として威力を発揮していることを耳にするたびに,嬉しさがこみ上げてくる。

 また,薬物動態研究分野に目を向けてみると,血漿中の薬物の分析には除蛋白などの前処理は必須である。 しかし,この操作も検対数が増えれば面倒くささが頭を過ぎる。 何とか“楽をしたい”思いで,仲間4人とワイワイしながら生まれたのが,前処理なしに血漿を直接HPLCに導入できる耐久性に優れたMAYI-ODSカラムである。 MAYI(メイアイと読む)の由来は,このカラムを開発した4人の仲間の名前のイニシャルを採り,ちょっと遊び心を付け加えて命名したものである。 このMAYI-ODSカラムは 血漿を直接導入できるHPLCシステムのハートテクノロジーとして,簡便性をベースにした“楽をしたい”を追究した成果と認識している。 実際,使って見ると“楽ができた”を体感することができ,ホットしているのが本音でもある。 現在も,血漿以外の生体試料中の薬物分析においても“楽をしたい” という人間の本能にひたすら身を置いている次第である。

 とにかく“楽をしたい”をモットーにして生まれたアイディアは,島津製作所と共同開発という形でスタートすることに成り,Co-Senseシリーズとして,現在商品化されてきている。 この Co-Sense の Co は Collaboration の Co であり,研究現場で見え隠れするウォンツ・ニーズに対し,ユーザーとメーカーが一緒に知恵を絞り合い,新たな感性による付加価値を創造・追求するフィロソフィーを意味していると聞く。 この意味は,これからの顧客満足の本質を垣間見る思いがする。

 最後に,“楽をしたい”がための一連のプロセスは,ある種の遊び心にも似た“楽しさ”をもたらしてくれると思えてならない。“楽をしたい”を手にするためには,ある程度の困難は伴うし,それを越えるための努力も必要となる。 “楽をしたい”という夢を叶えたいために努力し,困難に直面し,困難を乗り越えるための創意工夫するプロセスこそ,むしろ“楽しさ”を与えてくれるのではなかろうか。 だから,“楽をしたい”と思い,行動することは大きな価値があり,自らの成長の機会にもなると思える。 一方で,困難を避けて“楽をする”ことは確かに可能ではあるが,この時に “楽しさ”が存在しないことは確かだ。

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