世の中には多種多様なゴムがありますが,ゴムを大別すると天然ゴムと合成ゴムがあり,そのうち市販されているゴムの大多数は合成ゴムに分類されます。この合成ゴムは通常ゴム以外の複数成分が混ざり合って製品となっています。例えばゴムに配合される配合剤はその効果から加硫剤,加硫促進剤,加硫遅延剤,老化防止剤,充填剤,可塑剤の6種類に大別でき,その組み合わせや配合する量を変化させることによってゴム製品の加工性能や製品性能を変えることができます。一口にゴム製品といっても,車のタイヤやワイパーに使用されているラバー部分,レインコートのような衣類,サッカーやラグビーのようなスポーツに欠かせないボール類,家電製品のパッキンなどがあり,生活のありとあらゆる場面で使用されています。
これらのゴムの赤外スペクトルを得るためには,ゴムの色,形状などによって最適な前処理や測定方法の選択を行なう必要があります。今回は黒色ゴムに限定し,ATR法で分析する際のプリズムの選択について,実例を交えながら説明します。

黒色ゴムはカーボンブラック(以下カーボンと略します)を練り込むことによって黒色に着色されていますが,ゴムの使用用途によって練り込む量は変わります。 ATR法で測定する場合,このカーボン量によって使用するプリズムを選択する必要があります。 例えばカーボン量の比較的多いゴムをZnSeプリズムやダイヤモンドプリズムで分析した場合,ピークに歪みが生じることによって本来のピーク位置が変化したり,定性できないスペクトルが得られることもあります。 これは「測定に用いるATRプリズムの材質は試料の屈折率よりも高屈折率のものを用いる」というATR法の原理に反することによるものですが,ここでは詳細は省略します。(通常カーボン量が多い場合にはGeプリズム,少ない場合にはZnSeプリズムやダイヤモンドプリズムを選択しますが,厳密な数値は決まっておらず,分析者が得られたスペクトルを見て判断するのが一般的です。)

そこで今回,ゴムに1~50wt%のカーボンを練り込んだ試料について,3種類のプリズムでスペクトルを測定し,得られるスペクトルの評価を行ないました。 測定に用いたゴム材はNBR(アクリロニトリルブタジエンゴム)です。
Fig.1には,1~50wt%のカーボンを練り込んだNBRをダイヤモンドプリズム(屈折率n=2.4)を用いて測定したスペクトルの重ね書きを示します。 カーボン量はFig.1の下部から各々1,3,5,10,16,20,30,40,50wt%です。
 Fig.1より,カーボン量が増加するにつれて,ベースラインが右肩上がりに上昇していくことが分かります。これはカーボンが赤外領域全域に吸収を持ち,更にATR法では低波数側での光の潜り込み深さが深くなるために起こる現象です(FTIR TALK LETTER Vol.6のQ&A参照)。ダイヤモンドプリズムを用いた場合,特にカーボン量が10wt%を超えた辺りからベースラインが右肩上がりになる傾向が強くなることが分かります。

Fig.1 カーボン含有NBRのスペクトル
(手法:1回反射ATR法(プリズム:ダイヤモンド))

Fig.2にはカーボン量によるピーク位置の変化を示します。評価に用いたピークは,966cm-1に存在しているNBRの代表的なポリブタジエンのC=C-H面外変角振動(transビニレン基)です。
Fig.2を見ると,カーボン量が30wt%を超えた辺りからピークが歪み始め,ピーク位置が本来の位置から低波数側に急激にシフトすることが分かります。 これに加えてプリズムがダイヤモンドの場合,2400-2000cm-1付近に下向きのピークが見られていることが分かります(Fig.1の2400-2000cm-1付近参照)。 この下向きのピークはダイヤモンド自身の吸収が逆転したものです(吸収残渣)。 今回測定に用いたNBRの場合,2240cm-1付近に特徴的な二トリル基のピークが存在していますが,ダイヤモンドプリズムを用いた測定ではカーボン量が20wt%を超える辺りからピークとプリズムの吸収残渣の区別が付きにくくなり始め,40wt%を超えると完全に二トリル基がプリズム吸収残渣に隠れてしまいます(Fig.3参照)。

Fig.2 C=C-H面外変角振動(transビニレン基)のピークシフト
(プリズム:ダイヤモンド)

 

Fig.3 ダイヤモンドによるプリズムの吸収残渣

参考までに,サドラーデータベース(ポリマーのATRライブラリ)を用いてカーボン量の異なるNBRのスペクトルを検索した結果(ヒットした順位)をFig.4に示します。 検索に用いたNBRのカーボン量は1,5,10,16,20,24,30,40,50wt%です(注意:検索に用いるアルゴリズムは各社異なっています。よってヒット順位はあくまで目安です。)。
これを見ると,カーボン量が10wt%を超えると徐々にヒット順位は低くなり,30wt%以上ではほとんどヒットしなくなることが分かります(カーボン量が30wt%では上位200位までにヒットしませんでした)。 この理由としては,(1)ベースが右肩上がりになる(2)ピーク位置が本来の位置より低波数側にシフトする(3)ダイヤモンドの吸収残渣に二トリル基が隠れる,などが考えられます。

Fig.4 スペクトル検索におけるヒット順位 (プリズム:ダイヤモンド)

次に,同じ試料に対してダイヤモンドプリズムと同じ屈折率2.4であるZnSeプリズムで測定しました。 得られたスペクトルをFig.5に示します。 カーボン量はFig.5の下部から各々1,3,5,10,16,20,30,40,50wt%です。
Fig.5を見ると,2400-2000cm-1付近のダイヤモンドによる吸収残渣がないこと以外,ベースラインが右肩上がりになることやピーク位置の低波数側へのシフト,ピークの歪みはダイヤモンドプリズムと同じ傾向を示すことが分かります。これはダイヤモンドとZnSeの屈折率がほぼ同じであるためです。よってZnSeプリズム場合にも,正しく定性できるのはカーボン量が20wt%以下であると思われます。

Fig.5 カーボン含有NBRのスペクトル
(手法:1回反射ATR法(プリズム:ZnSe))

Fig.6を見ると,ダイヤモンドプリズムやZnSeプリズムと同様にベースラインが右肩上がりになっていますが,ピークの歪みはカーボン量が50wt%程度になっても少ないことが分かります。これはGeの屈折率(n=4.0)がダイヤモンドやZnSeの屈折率(n=2.4)と比べると大きいことに起因しています。ただしGeプリズムを用いる場合,ダイヤモンドおよびZnSeプリズムと比べると光の潜り込み深さが浅いため,得られるピーク強度は弱くなります(Fig.1とFig.6の縦軸値参照)。

Fig.6 カーボン含有NBRのスペクトル
(手法:1回反射ATR法(プリズム:Ge))

Geプリズムで測定したスペクトルに対しても,ピークのシフトと検索におけるヒット順位の検証を行ないました。 検証結果をFig.7およびFig.8に示します。

Fig.7 C=C-H面外変角振動transビニレン基)のピークシフト
(プリズム:Ge)
Fig.8 スペクトル検索におけるヒット順位
(プリズム:Ge)

これを見ると,Geプリズムで測定した場合には,ピーク位置はほとんど変化がないことが分かります。 検索結果についても,ダイヤモンドプリズムで測定した場合と比較するとヒットしやすいことが分かります。
更にカーボン量が50wt%のNBRをGeプリズムで測定したスペクトルについて,多点ベースライン補正処理を行なった後に検索を行なってみました。 その結果,ヒット順位は1位でヒットすることが確認されました。
以上のように,Geプリズムを用いると50wt%のカーボンを含んだNBRでも定性に有効なATRスペクトルが得られることが分かります。
なお,高濃度(60wt%以上)のカーボンを含有したNBRについては,ゴムの形状を留めることができないために製作不可能でした。

最後に,今回の測定にあたり,ゴム試料の製作にはオリオン株式会社様のご協力を頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
ゴムに関する問合せ先: オリオン株式会社 TEL:075-222-1930 http://www.orion.co.jp/