vol.25 赤外分光法による固体表面の酸性質の評価

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vol.25 赤外分光法による固体表面の酸性質の評価

宍戸 哲也 先生

首都大学東京 都市環境学部 分子応用化学コース 教授 (ご所属・役職は2015年9月発行時)

1.はじめに
 振動スペクトルを観測するIR,Raman分光法は,化学結合に関する情報を与えるため吸着種や固体表面のヒドロキシ基や金属酸素二重結合など触媒反応の活性点の観察に有用であり,実験室で汎用される分析機器である。触媒の活性点のキャラクタリゼーションを行う場合には,プローブ分子(観測したい対象のサイトに(選択的に)相互作用させた分子を観測することによって,対象とするサイトに関する情報を間接的に得ることができる。このために利用する分子のこと)を用いる方法と直接観測する方法の2種類がある。前者は,配位不飽和サイト,格子欠陥サイト,担体に分散担持された金属微粒子の表面などであり,これらの活性点は,それ自身を直接観測することができないためプローブ分子(NH3,CO2,CO,N2O,NOなど様々である)が用いられる。プローブ分子は,得たい情報によって選択する。例えば,固体表面の酸性質に関する情報が得たければ塩基性分子であるNH3やピリジンを用いる。また,塩基性質の検討では,酸性分子であるCO2などを選択する。本稿では,ピリジンを用いた固体表面の酸性質の評価について概説する。

2.ピリジンをプローブ分子とする固体表面の酸性質の評価
 ピリジンは,塩基性を有する分子であり,固体表面の酸点に吸着する。ブレンステッド酸点に吸着した場合には,ピリジニウムイオンが生成し,ルイス酸点に吸着した場合には,配位結合したピリジンとなり(図1),それぞれ異なった波数に赤外吸収を示す。1450 cm-1付近に現れる吸収バンドはルイス酸点に配位結合したピリジンの環振動の19bの振動モードに帰属され,1550 cm-1付近に現れる吸収バンドはブレンステッド酸点に結合したピリジニウムイオンの環振動の19bの振動モードに帰属されている(表1)1)。つまり,ピリジンをプローブ分子として用いることで固体表面のブレンステッド酸点,ルイス酸点を区別し分析することができる。また,この二つの吸収バンドの吸光係数が分かれば(例えば,1450 cm-1付近に現れる吸収バンド,1550 cm-1付近に現れる吸収バンドについてそれぞれ1.67 cm mol-1,2.22cm mol-1と報告されている2),3)),それぞれの吸収バンドの面積からブレンステッド酸点,ルイス酸点の量をそれぞれ見積もることが可能である。

図1 固体表面の酸点に吸着したピリジン

図1 固体表面の酸点に吸着したピリジン

表1 ピリジンの赤外モードの波数

mode Sym. liquid Hydrogen bonded ブレンステッド酸 ルイス酸
ν 8a A1 1582 1590-1600 1640 1600-1633
ν 8b B2 1575 1580-1590 1620 1580
ν 19a A1 1482 1485-1490 1485-1500 1488-1503
ν 19b B2 1438 1440-1447 1540 1447-1460

 吸着ピリジンのIRスペクトルを測定する際には,多くの場合,真空ラインと赤外線を透過する窓材(CaF2やNaCl板)を備えた測定セルが使用される。測定は,試料ディスクの作成,セルへの試料ディスクのセット,前処理,バックグラウンドスペクトルの測定,ピリジン蒸気の導入(吸着),所定の温度での排気(あるいは不活性ガス処理),スペクトルの測定からなる。
 まず,試料をディスク成型し,セルにセットする。試料ディスクは,赤外線を透過する厚さで作成する必要がある。定量的な扱いのためには試料ディスクの重量を記録しておくことが肝要である。任意の温度で試料を処理し,試料表面の水分や吸着物質を脱離させる。処理は,目的に応じて真空排気,不活性ガスを流通させる,酸素処理,還元処理などを単独であるいは組み合わせて行う。また,処理に必要な温度は,試料の耐熱性等を考慮し適切に選択する必要がある。処理後,室温や任意の温度まで放冷し,試料ディスクのIRスペクトルを測定する。このスペクトル(試料自身の吸収,すなわち バックグラウンドスペクトル)とピリジン吸着後の差スペクトルが,吸着したピリジンの吸収を表わすことになる。厳密には,バックグラウンドスペクトルは測定温度によって変化するのでピリジン吸着後に測定する全ての温度においてバックグラウンドスペクトルの測定が必要である。続いて,ピリジン蒸気を導入する。導入圧力とピリジンを導入したセルと真空ラインのみかけの体積(死容積)が分かっていれば,導入量あるいは吸着量を見積もることが可能である。所定の時間保持した後,真空排気や不活性ガスを流通させ余分な物理吸着したピリジンを除去し,スペクトルの測定を行う。固体表面の酸点の性質を議論する際には,100~150℃で処理した後のスペクトルを用いる場合が多い。これは,物理吸着したピリジンの影響を取り除くことが主な目的である。また,処理温度を徐々に高温に変化させスペクトルを測定すれば,各処理温度で脱離せず固体表面に残存しているピリジンのスペクトルを測定することになる。より高温まで残存するピリジンは,より強い酸点に吸着していると考えることができるので一連の温度で測定したスペクトルから酸強度についての議論も可能になる。
 スペクトル測定に使用するピリジンは,脱水ピリジンをさらに凍結脱気して使用する。水分が混入するとスペクトルが変化するので注意が必要である。また,ガラス製の真空ラインを使用する場合には,グリースへのピリジンの溶解が起こり,前処理後に溶解したピリジンが吸着する問題が起こることがあるため,こまめに塗り替えるなどの処置が必要である。これをさけるためにグリースレスコックを利用する場合もある。
 図2にβ型ゼオライト(JRC-Z-HB25)にピリジンを吸着させ150℃で排気した後のIRスペクトルを示す。1456 cm-1にルイス酸点に吸着したピリジン(L - P y)の吸収が1497cm-1にブレンステッド酸点に吸着したピリジン(B-Py)の吸収がそれぞれ現われていることからβ型ゼオライトの表面には,ブレンステッド酸点,ルイス酸点の両者が存在していることが分かる。例えば,図3に示す様にルイス酸点のみを有するアルミナ(Al2O3)などでは,1550 cm-1付近の吸収バンドは観測されない。一方,タングステン酸化物を担持したアルミナ(WO3/Al2O3)ではブレンステッド酸点が存在していることが分かる。この例の様に比較的簡便な手法で固体表面のブレンステッド酸点,ルイス酸点について同時に情報を得ることができる。

図2 β型ゼオライトに吸着したピリジンのIRスペクトル

図2 β型ゼオライトに吸着したピリジンのIRスペクトル

図3 γ-アルミナ(γ-Al2O3)とアルミナ担持酸化タングステン(WO3/Al2O3)に吸着したピリジンのIRスペクトル

図3 γ-アルミナ(γ-Al2O3)とアルミナ担持酸化タングステン(WO3/Al2O3)に吸着した
ピリジンのIRスペクトル(19a振動モード領域)

(a) γ-Al2O3(JRC-ALO-8), (b) 20wt% WO3/Al2O3

 図4にβ型ゼオライトへのピリジン吸着後,排気処理の温度を徐々に上昇させたときのスペクトルの変化を示す。排気温度の上昇に伴い全体的にスペクトルの強度が減少することは,吸着したリジンが徐々に脱離していることを示している。また,ブレンステッド酸点に吸着したピリジン(B-Py)の吸収が消失する400℃排気後の試料についてもルイス酸点に吸着したピリジン(L-Py)の吸収が観測されることは,相対的にルイス酸点の強度がブレンステッド酸点のそれよりも強いことを示している。この様に酸点の強度についても情報を得ることができる。また,ルチジン(2,6-ジメチルピリジン)の様にピリジン環の窒素原子周囲の立体障害を変化させたプローブ分子を利用することで酸点周囲の局所構造に関して間接的に検討している例もある。

図4 β型ゼオライトに吸着したピリジンのIRスペクトルに対する排気温度の影響

図4 β型ゼオライトに吸着したピリジンのIRスペクトルに対する排気温度の影響
(a) 150℃,(b) 200℃,(c) 250℃,(d) 300℃,(e) 350℃,(f) 400℃

 ゼオライトをはじめとする固体酸のブレンステッド酸点は,基本的には表面ヒドロキシ基(OH基)である。ピリジンを吸着させるとピリジンとヒドロキシ基との相互作用によってヒドロキシ基の吸収強度は低下する(バックグラウンドと吸着後のスペクトルの差スペクトルでは,下向きのピークとして現れる)。つまり,「フリーな(吸着分子等と)相互作用をしていないヒドロキシ基」の量が減少したことが観測される。ピリジンに限らずプローブ分子を吸着させたスペクトルを測定する際には,注目するプローブ分子の吸収だけではなくプローブ分子の吸着に対応して変化する吸収バンドを慎重に解析することで重要な情報が得られる場合があるので注意が必要である。

3.ピリジンをプローブ分子とする固体表面のルイス酸点の局所構造の解析
 アルミナ(Al2O3)は,固体触媒の担体として汎用される。アルミナ表面には,四配位(tetrahedral)のAl(Al(t))と六配位(octahedral)のAl(Al(o))が存在する4)。一般に固体表面のルイス酸点は,金属カチオンサイト(Mn+)であるので,アルミナの場合,その表面には配位環境が異なるルイス酸点が2種類存在することになる。さて,アルミナにピリジンを吸着させると図3の様なピリジンの吸収バンドに加えて1610 cm-1近傍にもルイス酸点に配位したピリジンの8a振動モードに帰属される吸収バンドが現れる。この吸収バンドは,吸着サイトの構造に敏感である5),6)。例えば,アルミナの場合,図5に示す様に1617,1623 cm-1にアルミナのルイス酸点由来と帰属される吸収バンドが現れる。ここで,1617 cm-1の吸収バンドは,四配位のAl(Al(t))に吸着したピリジンに,1623 cm-1の吸収バンドは,六配位のAl (Al(o))に吸着したピリジンに帰属されている。次にアルミナ上にタングステン酸化物を担持させると1617,1623 cm-1の吸収バンドの強度は減少し,1613 cm-1にタングステン酸化物のルイス酸点(タングステンカチオンサイト)に吸着したピリジンの吸収バンドが現れる。この様に配位環境の異なるルイス酸について情報を得ることも可能である。また,この方法を利用すれば,担体であるアルミナ表面を担持された酸化タングステンがどの程度覆っているか,即ち担体の被覆状態について定量的な議論をすることも可能である7),8)

図5 γ-アルミナ(γ-Al2O3)アルミナおよびアルミナ担持酸化タングステン(WO3/Al2O3)に吸着したピリジンのIRスペクトル(8a振動モード領域)

図5 γ-アルミナ(γ-Al2O3)アルミナおよびアルミナ担持酸化タングステン(WO3/Al2O3)に吸着した
ピリジンのIRスペクトル(8a振動モード領域)

(a) γ-Al2O3(JRC-ALO-8), (b) 20wt% WO3/Al2O3

4.おわりに
 ピリジンは,固体表面の酸性質のキャラクタリゼーションに広く利用されているプローブ分子であり得られる情報も(注意深く実験を行えば)豊富である。同様にピリジンに限らず測定や処理の条件を工夫することでさらに得られる情報が広がる。本稿がピリジン吸着IRを利用した実験の一助となれば幸いである。

参考文献

1) L. H. Little, “Infrared Spectra of Adsorbed Species”, Academic Press, London, 1966.
2) C. A. Emeis, J. Catal., 1993, 141, 347.
3) T. Barzetti, E. Selli, D. Moscotti, Forni, J. Chem. Soc. Faraday Trans., 1996, 92, 1401.
4) M. Digne, P. Sautet, P. Raybaud, P. Euzen, H. Toulhoat, J. Catal., 2004, 226, 54.
5) T. Yamamoto, T. Tanaka, T. Matsuyama, T. Funabiki, S. Yoshida, J. Phys. Chem. B 2001, 105, 1908
6) C. Morterra, G. Magnacca, Catal. Today, 1996, 27, 487.
7) T. Kitano, T. Shishido, K. Teramura, T. Tanaka, ChemPhysChem, 2013, 14, 2560.
8) T. Kitano, Y. Hayashi, T. Uesaka, T. Shishido, K. Teramura, T. Tanaka, ChemCatChem, 2014, 6, 2011

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