vol.17 FT-IR(フーリエ変換赤外分光光度計)を用いた異物分析— 加硫ゴムに関わる分析事例 —

執筆者紹介

vol.17 FT-IR(フーリエ変換赤外分光光度計)を用いた異物分析— 加硫ゴムに関わる分析事例 —

渡邊 智子 先生

一般財団法人 化学物質評価研究機構 (ご所属・役職は2011年9月発行時)

大武 義人 先生

一般財団法人 化学物質評価研究機構 (ご所属・役職は2011年9月発行時)

1.はじめに
 FT-IR(フーリエ変換赤外分光光度計)は,ゴム・プラスチック等の有機材料の定性分析,構造解析,劣化度解析に必要不可欠で,数多く存在する分析機器の中でも非常に使用頻度の高い装置である。異物とは,付着物,混入物,不純物,変質物,析出物などを指し,異物の存在は著しく商品価値を落とすとともに,外部からのストレスを受けた時,応力集中の源となり,破損破壊を誘引する場合も多い。また,ポリマーそのものが劣化,崩壊により脱落して異物となるケースも見られる。さらに,添加剤の混練がうまくいかずに分散不良が生じて,添加剤自身が異物となり得ることも珍しくない。成形品製造中の混入異物や配合剤の分散不良などは,外観不良のみならず,製品の破損事故につながる場合もあるため,異物が発生した場合は,迅速な分析により発生箇所や原因を把握して防止対策の手掛かりとする必要がある。
  本稿では,加硫ゴムに関わる異物分析事例を中心に顕微鏡FT-IR及び熱分解ガスクロマトグラフ分析計,ガスクロマトグラフ質量分析計による分析と組み合わせた解析例を紹介する。

2.異物分析の特徴
 異物分析は,未知試料の分析であるため,実体顕微鏡あるいは光学顕微鏡で外観観察をまず行い,試料の特徴的な性状や,混入状況,付着物の有無等の詳細な観察を行った後,明らかに金属と考えられる試料以外はFT-IRによる分析から始める。異物の場合は,分析対象が微小なケースがほとんどであるため,アパーチャー(視野絞り)を10~20μmのエリアまで絞り込むことができ,高感度な測定が可能な顕微鏡FT-IRが多用される。

3.加硫ゴム分析の特徴
 加硫ゴムはポリマー以外に数十種類の化学物質が混合された典型的な複合材料であるため,分析において対象となるのは,それらの配合されている全ての化学物質,例えばポリマー,可塑剤,老化防止剤,加硫剤,加硫促進剤等の有機物,カーボンブラック,無機充填剤等の無機物である。ゴム材料の特徴としては,(1)同一配合でも加硫条件の違いにより加硫密度が変化し,成形品の物性が大きく異なる場合がある,(2)成形過程で化学変化を生じる添加剤が多い,(3)加硫反応によりポリマーそのものも構造変化が生じる,(4)カーボンブラックを多量に配合された場合,光吸収現象が伴うためポリマー部の分光分析が極めて難しい,(5)加硫ゴムは加硫が施されているため溶媒に不溶で分析手法が限定される。などが挙げられる。したがって,目的に合った分析を選択し進めることが必要である。

4.分析事例
4.1 水道水から発見された黒色異物[エチレンプロピレンゴム(EPDM)][1],[2]
 水道水には水道法施行規則で「給水栓(蛇口)における水が遊離残留塩素0.1mg/L(結合残留塩素の場合は0.4mg/L)以上保持していること」と規定されている。近年は地球環境悪化に伴い水道水中の残留塩素濃度が増し,さらには温水の使用など,給湯水配管に用いられる有機材料にとって状況は過酷である。この残留塩素により配管に使用されているEPDM製パッキンの劣化が促進され,劣化した部分が破片化して脱落し,水道水中に混入する黒粉現象と呼ばれる事故が多発している。これらは文献[3],[4],[5]を参照することにより対策等が計られると思う。
  以下では,水道水から発見された黒色異物について,加硫ゴム分析の定法に基づき分析を行う。

〈分析方法及び結果〉
● 実体顕微鏡による外観観察:水道水から発見された異物は,黒色で僅かに弾性を有する1~2mm程度の多数の微小物質。
● 前処理:ジエチルエーテル抽出による軟化剤(可塑剤),老化防止剤等の除去,熱分解乾留
● FT-IR液膜法による分析及びPyGC(熱分解ガスクロマトグラフィー)による分析
 参考規格 JIS K 6230:2006 ゴム-赤外分光分析法による同定,JIS K6231:2004
 ゴム-熱分解ガスクロマトグラフ法による同定(単一ポリマー及びポリマーブレンド)

 熱分解乾留液は,溶媒抽出により軟化剤(可塑剤),老化防止剤等を除去した後の試料を軟質ガラス管に挿入,あらかじめガラス管の先端をキャピラリー状に細く伸ばしておき,管の後端を閉じた後,ガスバーナーで試料を加熱して得る。FT-IR分析は,液膜法または乾留液の量が少ない場合は顕微透過法で行う。熱分解乾留操作により,カーボンブラックや無機充填剤の影響を受けずにポリマーのみの情報が得られる。ただし熱分解を行うため劣化の有無を見極めることは不可能である。

図1 EPDM熱分解乾留液のFT-IRスペクトル
図1 EPDM熱分解乾留液のFT-IRスペクトル
 
図3 EPDMのPyGCチャート
図2 EPDMのPyGCチャート  プロピレン,ブテン,ペンタン,ヘキセン,ヘプテン,ノナンなど炭化水素のピークが規則的に出現するのがEPDMの特徴。
 

 熱分解乾留液,液膜法によるFT-IRスペクトル(図1)及びPyGCチャート(図2)を既知の標準試料を分析した結果と照合して,異物の主成分ポリマーは,EPDMと判断された。さらに,溶媒抽出後の試料を直接顕微ATR法により表面と内部を測定したところ,表面では1700cm-1近傍にカルボニル基に起因する吸収が認められることから,異物の混入は,劣化による脱落現象であることが分かった(図3)。

図3 EPDM表面及び内部の顕微ATR法によるFT-IRスペクトル
図3 EPDM表面及び内部の顕微ATR法によるFT-IRスペクトル

 PyGCは,ゴム,プラスチックのような不揮発性物質を熱分解装置(パイロライザー)で瞬間的に高温まで昇温する熱分解操作により,揮発性を有する比較的小さなフラグメントに分解してGC(ガスクロマトグラフ)へ導入する分析法で,例えば,天然ゴムの場合は,イソプレン,リモネン(イソプレンダイマー)が検出され,スチレンブタジエンゴムでは,ブタジエン,スチレンが検出される。特性ピークの相対強度比からブレンド比の解析など,ほとんどあらゆる形態の高分子材料を0.01~0.1mgという極微量で分析することができる。FT-IR分析と組み合わせて行うことにより,ブレンドゴムの解析など効果的にデータが読める。

4.2 加硫ゴム製品表面に見られるブルーム現象[EPDM製品のブルーム:加硫促進剤EZの析出]
 ゴム中に添加された,加硫反応にあずからなかった遊離硫黄や老化防止剤,ワックス等がゴムの分子運動(ミクロブラウン運動,マクロブラウン運動)により徐々に成形品表面に析出してくる現象をブルームという。遊離硫黄の場合,実体顕微鏡などで表面を拡大観察すると,析出した硫黄の結晶が,花が咲いたように見えることからそう呼ばれている。軟化剤などの液状物質のブルームはブリードとも呼ばれる。ブルームは,黒色ゴム製品の表面が,白く曇って見えるなど外観不良による商品価値の低下,汚染性老化防止剤などの移行による接触汚染,ゴム製品との接触部分におけるスリップ現象などトラブルの要因となる。ブルームの防止対策としては,まずブルーム物質を分析して特定化を行い,その物質の添加量を減らす,または使用を中止することなどが挙げられる。ブルーム物質は,数種類の化学薬品の混合物になっている場合が想定されるため,分離手法を選択しながら進める。
 以下では,EPDM成形品表面に見られたブルーム物について,試料が微量でも高感度な分析が可能な顕微鏡FT-IRによる分析手法について紹介する。

〈分析方法及び結果〉
  目視観察より黒色ゴム製品表面の広い範囲が白色になっていた。ゴム製品表面に極薄く認められるブルーム物を以下の手順で顕微鏡FT-IR,顕微透過法により分析する。

表面ブルーム物の顕微鏡FT-IR分析手順

実体顕微鏡による外観観察
特に多方面の角度から状況を見る

↓

実体顕微鏡下でブルーム物の一部を
細工用カッターナイフとニードルを用いて採取

↓

KBr粉末で錠剤を成型する

↓

ブルーム物をKBr錠剤にのせて薄く平滑になるよう押し潰す

↓

顕微透過法で測定

 

 FT-IRスペクトルよりブルーム物の主成分は,加硫促進剤ZnEDC (ジエチル・ジチオカルバミン酸亜鉛)であった(図4)。(一般に加硫ゴムの場合,加硫反応を迅速に行うために,加硫促進剤を必ず添加する。商品名の例:ノクセラーEZ,アクセルEZ,サンセラーEZ)分析結果ではZnEDC(EZ)として検出されたが,ジチオカルバミン酸塩はTETD(TET)などのチウラム系加硫促進剤と加硫促進助剤のZnOが反応して生成した可能性もある。これらブルーム物の分析は,場合によってはGC-MS(ガスクロマトグラフ質量分析計)分析,EPMA(電子線マイクロアナライザー)分析を併用することにより,より精度ある分析を可能にする。

図4 ゴム製品表面ブルーム物ZnEDC(EZ)のFT-IRスペクトル
図4 ゴム製品表面ブルーム物ZnEDC(EZ)のFT-IRスペクトル
 

4.3 加硫ゴム製品との接触による汚染現象[アミン系老化防止剤と可塑剤の移行]
 ゴム製品は使用中に酸素,オゾン,熱,紫外線,金属イオン,動的疲労などによって劣化が進行し,物性が変化したり亀裂の発生,あるいはベタつきの発生など製品としての機能を保てなくなりトラブルの原因につながる。したがって,ゴム製品の劣化を防ぎ,製品寿命を長期間保持するためには,老化防止剤の添加が不可欠である。老化防止剤の中では芳香族アミン系老化防止剤が有効であり,多用されている。しかし,芳香族アミン系老化防止剤の欠点としてゴムへの着色や周囲への移行汚染などがあり,白色配合,明色配合のゴム製品には使用できないため,効果は落ちるが低汚染性のフェノール系老化防止剤を用いる。芳香族アミン系老化防止剤,フェノール系老化防止剤はともにラジカル連鎖禁止型の老化防止剤である。過酸化物分解型のベンゾイミダゾール系老化防止剤などは,単独使用よりもラジカル連鎖禁止型の老化防止剤との併用により相乗的に酸化防止効果が向上することが一般に知られている。3C [N-イソプロピル-N’-フェニル--フェニレンジアミン]や6C[N- (1,3-ジメチルブチル) -N'-フェニル--フェニレンジアミン]などの-フェニレンジアミン系老化防止剤は,酸化防止,オゾン亀裂防止,屈曲亀裂防止に有効であるため,天然ゴム,SBR,NBRなどの主鎖中に二重結合を持つジエン系ゴムに多用されている[6]
  本事例は,NBR製ゴムパッドが底面に取り付けられたペット用給餌器を床に置いて約2週間室内で使用したところ,ゴムパッドと接触していた床板に褐色の跡が付いた汚染現象であり,このゴムパッドから床板へ移行した着色物質について顕微鏡FT-IR,GC-MSの併用により分析を行う。

〈分析方法及び結果〉
 床板を観察すると,ゴムパッドとの接触部分に直径約15mmの円形で褐色の着色が認められた。床板の着色部および正常部をFT-IR顕微ATR法で直接測定したところFTIRスペクトルに有意差はなく,ともに床板の表面ラッカー由来の硝酸セルロースが検出され,着色物質による吸収ピークは不検出であった。したがって,褐色部分に含まれている着色物質はFT-IRでは検出不可能なレベルの極微量であると考えられたため,次に溶媒抽出による着色物質の分離分析,GC-MS分析を試みた。

着色物質のGC-MS分析手順

床板の着色部,着色の無い正常部を清浄なカッターナイフで削り取る
ゴムパッドははさみで細切し,それぞれを試験管に集めてジクロロメタンで浸漬抽出

↓

得られたジクロロメタン抽出液を窒素気流中で濃縮,観察

↓

着色部及びゴムパッドのジクロロメタン抽出液は茶褐色で,色調が類似している正常部のジクロロメタン抽出液は淡黄色

↓

ジクロロメタン抽出液のGC-MS分析
ゴムパッド抽出液からは,汚染性の老化防止剤,可塑剤などを検出
床板の着色部及び正常部抽出液からは,ラッカー由来の樹脂成分などを強く検出

↓

床板の着色部,正常部の抽出液からラッカー由来の樹脂成分を除去するためにメタノールを添加して再沈殿,分取した上澄液を再度GC-MS分析

 床板の着色部から,正常部からは検出されない-フェニレンジアミン系老化防止剤であるN-(1,3-ジメチルブチル)-N'-フェニル--フェニレンジアミンが検出された。また,DEHPはいずれの試料からも検出されたが,正常部よりも着色部で検出量が多かった。したがって,床板の着色物質は,ゴムパッドに配合されていた汚染性を有する老化防止剤N-(1,3-ジメチルブチル)-N'-フェニル--フェニレンジアミンであり,ゴムパッド中に配合されていたDEHPとともに床板へ移行したために着色が生じたことが判明した。

GC-MS分析により検出された主な成分
GC-MS分析により検出された主な成分
 

まとめ
 ゴム材料は,前述しているように多くの成分が配合された複合材料であるため,分析対象や目的に応じて適切な前処理や分析手法を選択する必要がある。顕微鏡FT-IRは,ブルーム物のような析出物であれば極微量でも感度良く簡便に分析できるが,汚染物質の事例のように樹脂成分中に含まれる微量物質の場合は,溶媒抽出後のGC-MS分析などの手法と組み合わせて行う。FT-IRは材料劣化評価,構造解析等も可能である。その解析には日頃からのバックデータの蓄積が必要である。

参考文献

[1] 大武義人, 渡邊智子, 仲山和海著: 製品中の異物混入とその対策,日刊工業新聞社, 2010
[2] 大武義人著: ゴム・プラスチック材料のトラブルと対策 —劣化と材料選択—, 日刊工業新聞社, 2005
[3] 吉川治彦, 中村勉, 百武健一郎, 小林智子, 植田新二, 宮川龍次, 大武義人: 日本ゴム協会誌, 75,313 (2002)
[4] 吉川治彦, 中村勉, 百武健一郎, 小林智子, 植田新二, 宮川龍次, 大武義人: 日本ゴム協会誌, 76,9(2003)
[5] 大武義人著: 材料トラブル調査ファイル, 日刊工業新聞社, 1999
[6] 便覧 ゴム・プラスチック配合薬品 新訂版, ラバーダイジェスト社, 2001

関連データ

関連情報